ブルックリン橋 · ニューヨーク · 独立系ガイド
ブルックリン橋の音声ガイド、
5つのスポット、無料で。
中央径間は1595.5フィート。1883年の開通時には世界最長の吊り橋だったこの橋を、歩きながら5つの録音で渡ります。遊歩道でほかに目を引くものがあれば、写真を撮るだけで Chiaro がそれが何かを教えてくれます。
Chiaro 制作。ブルックリン橋とは関係ありません。
マンハッタン側の取り付け部をのぼる遊歩道の坂
ブルックリン橋、ニューヨーク
5つのスポット · 音声 12 分
5つの場所、ひとつのルート、
歩く順番のとおりに。
このブルックリン橋の音声ガイドを聞きながら渡れば、足もとをイースト川が流れていくあいだに、5つの短い話が進んでいきます。聞く場所は、1867年にジョン・ローブリングがただ楽しむためだけに計画した、一段高い遊歩道です。ガイドなしで歩けるルートで、マンハッタンからブルックリンへ、南東に向かって進みます。始まりは、シティ・ホール・パーク向かいのセンター・ストリートの横断歩道から少しのぼった、マンハッタン側の取り付け部の上の坂。そこから先のとがったアーチを持つマンハッタン塔へ、上流のマンハッタン橋を眺める中央径間の北側、左手の端へ、中央の2本のケーブルが遊歩道の横まで下りてくる川のまんなかへと進み、最後はブルックリン塔の下で振り返って、マンハッタンを眺めて終わります。聞く時間は合わせて10分ほど。橋は端から端まで6016フィート、1マイルを少し超える長さなので、5回立ち止まりながらゆっくり歩いて、45分ほどみておきましょう。
このページのアクセス情報は、橋を維持管理するニューヨーク市交通局と、マンハッタン側の入口について市が出している告知にもとづき、2026年10月1日にひととおり確認したものです。歴史と地下鉄の路線はウィキペディアで裏づけをとりました。見学に関わる事実はひとつ残らず、根拠となった一文と一緒に記録してあるので、市の側で何かが変わればこちらにも伝わります。橋では修理の作業員が一年中働いていて、遊歩道の一部が狭くなることがあります。遊歩道の柵や標識がこのページと食い違っていたら、標識のほうに従ってください。そしてひとこと知らせてもらえれば、このページを直します。
David Berkowitz from New York, NY, USA、CC BY 2.0、Wikimedia Commons より. 写真: David Berkowitz from New York, NY, USA
スポット 1 / 5 · 遊歩道のマンハッタン側。シティ・ホール・パーク向かいのセンター・ストリートの横断歩道から少しのぼった、取り付け高架橋の上の坂。南東、マンハッタン塔の方を向いて
マンハッタン側の取り付け部をのぼる遊歩道の坂
設計はジョン・A・ローブリング(1806〜1869)、建設は息子で主任技師のワシントン・ローブリング(1837〜1926)の指揮による · 取り付け部は1877〜1883年に建設、遊歩道は1954年に改築 · 石積みの取り付け高架橋の上に、鋼の骨組みで支えた木の遊歩道。マンハッタン側の取り付け部の坂は長さ1567フィート(478メートル)、遊歩道は車道より18フィート(5.5メートル)高い
注目ポイント
- 両側の、足もとを流れる車。遊歩道は2本の車道のあいだを、その18フィート上を通っています。車の音が見た目より遠く聞こえるのはそのためです。
- マンハッタン塔までつづく長いのぼり。川の上の径間は高くなければならず、岸の土地は低いので、こちら側の取り付け部は通りの高さまで下りるのに1567フィートを要します。
- すぐ横の鉄の手すり。つくったのはジェインズ&カートランド、合衆国議会議事堂のドームも鋳造したブロンクスの鋳物工場です。
- 左手の上流に見えるマンハッタン橋。北隣の橋で、3つ目のスポットの主役です。
書き起こし (2:29)
いまあなたは坂をのぼっています。のぼりはしばらくつづきます。足もとの板張りは高架の遊歩道で、聞こえてくる車の音は横からではなく、下から届いています。両側の18フィート下を走る、2本の車道です。まっすぐ先、道の突き当たりにはマンハッタン塔があたりを見下ろすように立ち、4本のケーブルがその頂上へ弧を描いてのぼっていきます。
この坂がこれほど長いのは、川のせいです。川の上の径間は船がくぐれる高さに置かなければならず、両岸の土地は低い。だから橋は、ずっと内陸のほうまで使って、少しずつ通りの高さへ下りてこなければなりません。橋を管理するニューヨーク市交通局は、径間と取り付け部を合わせた全長を6016フィートとしています。マンハッタン側の取り付け部だけで1567フィート。ブルックリン側で待っている取り付け部よりも、はるかに長いのです。
あなたの下は石です。取り付け部はルネサンス様式の石積みのアーチの上に立ち、アーチの開口はれんがの壁と小さな窓でふさがれています。脇道はアーチや鉄の桁橋をくぐって、その下を抜けていきます。
遊歩道は、はじめからジョン・オーガスタス・ローブリングの構想でした。1867年9月の基本計画には車道と鉄道の線路があり、その上に、ただ楽しむためだけの一段高い散歩道が描かれていました。彼自身は、そのどれも完成を見ていません。いま立っている床は1954年5月に仕上がった改築ですが、横の鉄の手すりを見てください。これをつくったのはジェインズ&カートランド。合衆国議会議事堂のドームも手がけた、ブロンクスの鋳物工場です。
この坂をもう少し進んだ先、塔の手前で、ケーブルはマンハッタン側のアンカレッジへともぐり込みます。重さ6万ショートトン、台形をした石灰岩のかたまりで、岩盤の上に据えられています。1876年から市はその地下室を貸し出して、橋の維持費にあてました。使い道はワインの貯蔵です。華氏60度で一定に保たれる温度が、ワインによく合ったのです。マンハッタン側の地下室は、入口の脇に聖母マリアの祠があったことから、ブルー・グロット、つまり青の洞窟と呼ばれていました。
そのアンカレッジの下の土地にも、独自の歴史があります。ここはチェリー・ストリート1番地、サミュエル・オズグッド邸の跡地です。この家はアメリカ合衆国の最初の大統領官邸で、アンカレッジにはいまもそれを記したブロンズの銘板が掛かっています。
最後に、名前の話をひとつ。最初の32年間、この橋の正式な名前はニューヨーク・アンド・ブルックリン橋でした。市がブルックリン橋を正式名にしたのは1915年になってからです。もっともこの呼び名自体は、1867年1月、ブルックリン・デイリー・イーグル紙に寄せられた投書にすでに登場していました。
Shadow0704, Justin Brandt、パブリックドメイン、Wikimedia Commons より(トリミング). 写真: Shadow0704, Justin Brandt
スポット 2 / 5 · マンハッタン塔の遊歩道。道が塔のバルコニーへとのぼり、2つのアーチのあいだを抜けるところ
マンハッタン塔とゴシックのアーチ
設計はジョン・A・ローブリング(1806〜1869)、建設はワシントン・ローブリング(1837〜1926)の指揮による。その指示を現場へ伝えたのはエミリー・ウォレン・ローブリング(1843〜1903) · ケーソンの沈設は1871〜1872年、塔の完成は1876年7月 · 石灰岩、花崗岩、ローゼンデール・セメント。高さ278フィート(85メートル)、満潮線での断面は140×59フィート。アーチの開口はそれぞれ高さ117フィート、幅33.75フィート
注目ポイント
- 2つの尖頭アーチ。高さはそれぞれ117フィートで、どちらの下にも車道が1本ずつ通っています。遊歩道はそのあいだをのぼり、車の流れの上のバルコニーに出ます。
- 花崗岩の灰色。2019年の終わりに始まった改修でアーチが洗浄され、石は本来の色を取り戻しました。
- 塔の頂上。4本のメインケーブルはそこで終わらず、上を越えていきます。1876年7月に引き上げられたサドル・プレートの上に載っているのです。
書き起こし (2:23)
ここからは石の話です。いまいるのはマンハッタン塔の足もと。遊歩道はバルコニーへとのぼり、塔の2本の脚のあいだをすり抜けます。両側の車道にかかるアーチは高さ117フィート。先のとがったゴシック・リバイバル様式で、教会の形が土木構造物にのっているわけです。この塔と、対になるもう1本の塔が完成したとき、2本はニューヨークのどの建物よりも高く、例外はたったひとつでした。高さ279フィートのトリニティ教会の尖塔が、1フィートほど上回っていたのです。この順位は1890年まで変わりませんでした。
石は遠くから運ばれてきました。石灰岩はニューヨーク州北部、エセックス郡のクラーク採石場から切り出され、花崗岩はメイン州のヴァイナルヘイブン島で切られて、スクーナー船で海岸沿いに運ばれてきました。2019年の終わりに始まった改修でアーチが洗浄されると、1世紀分の汚れの下から、花崗岩の本来の色が現れました。
見えない部分こそ、いちばん大きな代償を払った部分です。この塔はケーソンの上に立っています。サザン・イエローパインでつくった172×102フィートの巨大な箱で、作業員たちは圧縮空気の中、その内側で川底を掘り出しながら箱を沈めていきました。こちら側では満潮面の78.5フィート下まで達し、気圧は1平方インチあたり35ポンド。現場の医師アンドルー・スミスは、1872年1月から5月末までのあいだに、いまでいう減圧症の症例を110件治療し、それを初めてケーソン病と名づけました。この病で3人が亡くなっています。
岩盤は、さらに深いところにありました。主任技師のワシントン・ローブリングは探査の結果を読み、その上の砂の地盤で十分に固いと判断して、そこで止めました。
橋を設計したのは、父のジョン・オーガスタス・ローブリングです。1869年6月、現地を測量していたとき、フェリーに足を杭へ押しつぶされ、翌月、破傷風で亡くなりました。後を継いだワシントンは32歳。自らケーソンの中へ下りて調べ、急いで上がりすぎたせいで、作業員たちと同じ病に倒れて寝たきりになりました。それからは寝室で望遠鏡をのぞいて橋を見守りながら、工事を指揮したのです。
妻のエミリー・ウォレン・ローブリングは、夫の指示を現場へ運び、返ってきた答えを持ち帰りました。彼女はカテナリー曲線の数学、材料の強度、ケーブルの構造を学び、11年にわたってこの橋の建設の監督を手伝いました。
先へ進む前に、塔の頂上を見上げてください。4本のメインケーブルは、そこで終わってはいません。頂上を越えて、サドル・プレートの上に載っているのです。プレートが据えられたのは1876年7月、ちょうどこの塔が完成した月でした。
Tony Hisgett from Birmingham, UK、CC BY 2.0、Wikimedia Commons より(トリミング). 写真: Tony Hisgett from Birmingham, UK
スポット 3 / 5 · 2本の塔のあいだの中央径間、遊歩道の北側(ブルックリンへ向かって左手)の端。北、イースト川の上流を見て
北側の手すりと、上流のマンハッタン橋
マンハッタン橋の設計はレオン・モイセイフ(1872〜1943)。ジョン・A・ローブリング(1806〜1869)の中央径間から眺める · 中央径間は1883年完成、マンハッタン橋は1909年12月31日開通 · ブルックリン橋の中央径間は1595.5フィート(486.3メートル)、中央の桁下高は交通局の数字で135フィート。マンハッタン橋の鋼の塔は高さ350フィート
注目ポイント
- マンハッタン橋のケーブル。あるのは垂直の吊り材だけです。軽い設計は、床そのものの重さが床を安定させるという新しい理論から生まれました。
- この橋のほうでは、すぐ横に斜めのステーが見えます。塔から扇のように下りてきて、垂直の吊り材と交差しています。ローブリングの設計のうち、斜張橋にあたる半分です。
- はるか下の水面と、その上の床の高さ。1876年、上流の造船業者たちはこの高さをめぐって裁判を起こしました。
書き起こし (2:12)
遊歩道の左手の端、北側へ寄って、イースト川の上流を見てください。すぐ近くに立つ鋼の橋がマンハッタン橋です。開通したのは1909年の大みそか。そしてあの橋は、いまあなたが立っている橋への反論でもあるのです。
まずは、すぐ横のケーブルから。メインケーブルからまっすぐ垂れ下がっているのが垂直の吊り材、それを斜めに切るように、塔から扇形に広がっているのが斜めのステーです。この橋は混成型で、半分は吊り橋、半分は斜張橋。2種類のケーブルが、どちらも床を持ち上げています。
今度は、マンハッタン橋に目を移してください。垂直の吊り材、それだけです。設計者のレオン・モイセイフは、新しい考え方の上にあの橋を築きました。ヨーゼフ・メランのたわみ理論です。床そのものの重さが床を安定させるのだから、補剛トラスは軽くできる、という理論でした。あれは、この方法で設計された最初の吊り橋です。さらに下段の車道の両側には地下鉄の線路が通っていて、その偏った重さのせいで、電車が渡るたびに橋は最大8フィートもねじれました。これを直すには、1982年から2004年までつづいた改修が必要でした。
それから下を見てください。この床の高さは、争いの種だったのです。いまあの橋が立っているあたり、上流の造船業者や商人たちは、自分たちの船が下をくぐれないと訴えました。1876年5月、彼らはニューヨーク市とブルックリン市を相手に裁判を起こし、最高裁判所がこの橋を合法な構造物と認めたのは、橋が開通した1883年のことでした。設計は1869年の最終測量の段階で、すでに130フィートから135フィートへ引き上げられていて、135フィートはいまも交通局が示している中央の桁下高です。しかも、この橋は動きます。真夏と真冬とでは径間が14〜16インチ伸び縮みし、1909年のある工学雑誌は、気温と交通量しだいで中央部が9フィート以上も上下しうると見積もっています。
1919年には、ジョルジョ・ペッシというパイロットが、当時世界最大級の飛行機だったカプローニCa.5で、この床の下をくぐり抜けました。
1903年にもっと上流でウィリアムズバーグ橋が開通するまで、この橋は世界でいちばん長い吊り橋で、それまでに架けられたどの吊り橋よりも5分の1長かったのです。そして足もとの川を、ほとんど一夜にして変えました。開通から1週間もしないうちに、フェリーの乗組員たちは乗客が急に減ったと報告しています。それでも、川を渡る最後のフェリーは1942年まで運航をつづけました。
Balon Greyjoy、CC0、Wikimedia Commons より(トリミング). 写真: Balon Greyjoy
スポット 4 / 5 · 中央径間、川のまんなか。中央の2本のメインケーブルが、あなたの両側で遊歩道の高さまで下りてくるところ
メインケーブルがすぐ横まで下りてくる場所
設計はジョン・A・ローブリング(1806〜1869)。ケーブルの架設はワシントン・ローブリング(1837〜1926)の指揮のもと、機械工長E・F・ファリントンとともに行われた · 最初のワイヤーが渡されたのは1876年8月15日、メインケーブル最後のワイヤーは1878年10月5日 · メインケーブル4本。各直径15.75インチ(40センチ)、亜鉛めっき鋼線5282本を平行に並べ、19本のストランドにまとめたもの。斜めのステーは400本、長さ138〜449フィート
注目ポイント
- 手を伸ばせば届く距離で見るメインケーブルの太さ。15と4分の3インチ、約40センチ。巻き付けた被覆の内側に、5282本のワイヤーが1本1本分かれて入っています。
- ケーブルのところどころにボルトで締め付けられた留め金具。そこから吊り材のロープが、まっすぐ床まで下りています。
- 塔から下りてくる途中で吊り材と交差する、斜めのステー。この橋をひと目でそれとわからせる、あの網目です。
書き起こし (2:33)
川のまんなかまで来ると、中央の2本のケーブルがあなたを迎えるように下りてきて、数歩のあいだ遊歩道のすぐ横を走ります。ボルトを数えられるほどの近さです。道幅はこのあたりで、約10フィートまで狭くなります。
どちらのケーブルも直径は15と4分の3インチ、約40センチ。被覆の内側には5282本の鋼線が横に並べて束ねられ、19本のストランドにまとめられています。吊り橋のケーブルをこんなふうに束ねた人は、それまでいませんでした。ケーブルからまっすぐ垂れているロープが吊り材、塔から斜めに横切ってくるのがステーです。ステーはおよそ400本、いちばん長いものは449フィートあります。
すべては1本のワイヤーから始まりました。1876年8月15日、最初の仮のワイヤーが塔から塔へ張り渡されます。それが持ちこたえることを示そうと、橋の機械工長E・F・ファリントンは、その下に吊した作業用の吊り椅子、ボースンチェアに乗って川を渡りました。両岸では、およそ1万人が見守っていたといいます。続いて作業員用の歩道橋がかけられ、1877年には数千人の見物客が通行証を手にそこを渡りました。ところがひとりが発作を起こして落ちかけ、通行証の発行は打ち切られました。
そして、不祥事が起きます。ワイヤーの納入契約を手にしていたのは、理事のエイブラム・ヒューイットとつながりのある業者、J・ロイド・ヘイでした。ローブリングの助手の技師たちが納品されたワイヤーを検査すると、ヘイが粗悪なワイヤーを紛れ込ませていたことがわかりました。検査した80巻のうち、基準を満たしていたのは5巻だけ。しかもその時点で、ワイヤーはすでにケーブルに紡ぎ込まれていて、取り出す手立てはありませんでした。ローブリングは計算し、橋の強さは必要な強さの6〜8倍ではなく、4倍になると見積もりました。そして粗悪なワイヤーはそのまま残し、各ケーブルに150本のワイヤーを追加したのです。その代金はヘイが払わされました。最後のワイヤーが川を渡ったのは、1878年10月5日のことです。
その余裕は、もともと設計に織り込まれていました。ジョン・ローブリングはトラスを、自分が必要と考えた強さの6〜8倍にしていました。風が橋に何をするのか、まだ誰にもわかっていなかった時代です。そして床を支える仕組みを、ケーブル、ステー、補剛トラスの3つ、互いに別々のものとして持たせました。たとえそのひとつが完全に壊れても、橋はたわむだけで落ちはしない、というのが彼の主張でした。2003年の大停電のとき、歩いて家へ帰る人の群れがこの橋を渡り、足もとの床は揺れました。それでも、橋は持ちこたえました。
目の前の吊り材は、ヘイのものではありません。彼のワイヤーの吊り材は1986年に取り外され、ベスレヘム・スチールが新しいものに取り替えました。
Summermother、CC0、Wikimedia Commons より. 写真: Summermother
スポット 5 / 5 · ブルックリン塔の遊歩道。ここで振り返って北西を向き、中央径間の先のマンハッタン塔とロウアー・マンハッタンを見て
ブルックリン塔と、振り返って見るマンハッタン
設計はジョン・A・ローブリング(1806〜1869)、建設はワシントン・ローブリング(1837〜1926)とエミリー・ウォレン・ローブリング(1843〜1903)の指揮による · ケーソンは1870〜1871年、最後の石の据え付けは1875年6月、開通は1883年5月24日 · 石灰岩、花崗岩、ローゼンデール・セメント。高さ278フィート(85メートル)。168×102フィートの木製ケーソンの上に立ち、ケーソンは満潮面の44.5フィート下まで沈められている
注目ポイント
- 振り返ってください。1595.5フィートの中央径間がまるごとマンハッタン塔までのび、その後ろにロウアー・マンハッタンがそびえています。
- 頭上を、この塔の頂上のサドルへとのぼっていく、中央の2本のメインケーブル。
- 2つの尖頭アーチの頂部。完成は1874年8月で、この塔の最後の石が積まれる1年近く前のことでした。
書き起こし (2:29)
ここがブルックリン塔です。何より先に、振り返ってください。来た道のほう、北西を向くと、中央径間がまるごと遠ざかっていくのが見えます。1595.5フィート先のマンハッタン塔まで、そしてその後ろに積み重なるロウアー・マンハッタンまで。13年のあいだ、両岸の人々は、この光景が少しずつ組み上がっていくのを見ていました。
始まりは、ここでした。この塔のケーソンはグリーンポイントのウェッブ&ベル造船所でつくられ、1870年3月19日に進水しました。作業員たちは圧縮空気の中、その内部へ下りて掘りました。そのひとり、アイルランドから来た16歳のフランク・ハリスは、こう回想しています。狭い鉄の作業室で6人が上半身裸で働き、温度は華氏80度ほど。5分もしないうちに汗が流れ落ち、そのあいだずっと、凄まじい気圧のおかげでかろうじて上がってこない、氷のように冷たい水の中に立っていた、と。
1870年12月、ケーソンの木の天井が燃えました。この火事で、工事は何か月も遅れました。修理が終わったのは1871年3月6日。この日ケーソンは最終的な深さの44.5フィートに達し、その5日後にコンクリートで満たされました。1873年の半ばには、この塔は水面から164フィートの高さになっていました。頭上のアーチが閉じたのは1874年8月、最後の石が上がったのは1875年6月です。
完成した橋を馬車で最初に渡ったのは、エミリー・ウォレン・ローブリングでした。公式の開通に先立って渡り、勝利のしるしにおんどりを抱えていたといいます。1883年5月24日、チェスター・アーサー大統領とニューヨーク市長フランクリン・エドソンが橋を渡り、こちらの端でブルックリン市長セス・ローと握手しました。ワシントン・ローブリングは、その場に来ることができませんでした。主な演説をしたのはエイブラム・ヒューイットで、彼はその中で、この橋をひとりの女性の身を捧げた献身の永遠の記念碑と呼びました。橋には3人のローブリング、エミリーと夫、そして夫の父をたたえる銘板が掲げられています。
開通初日には、1800台の車両と15万300人が渡りました。費用は1883年当時のお金で1550万ドル、その3分の2をブルックリンが負担しました。建設中に亡くなった作業員は、推定でおよそ27人です。1年後の1884年5月17日には、P・T・バーナムが象のジャンボを先頭に21頭の象を渡らせました。これで橋の強さへの疑いはようやく晴れ、サーカスにとっても悪い話ではありませんでした。
開通の1週間後、批評家のモンゴメリー・スカイラーはハーパーズ・ウィークリー誌に書きました。私たちのもっとも長く残る記念碑になりそうなのは、ただ役に立つためだけにつくられたものだ。神殿でも、要塞でも、宮殿でもなく、1本の橋なのだ、と。ここから遊歩道は、その橋を背にして、アダムズ・ストリートへと下っていきます。
独立系ガイド · Chiaro
ブルックリン橋の上では、どんなものにも Chiaro を向けてください。
5回の立ち止まりで扱えるのは、午後いっぱいかけても足りない渡り道のほんの一部です。それぞれの塔までたどれる400本のステー、古いワインの地下室を抱えたアンカレッジ、上流にかかるもう1本の橋、そして両岸に広がる屋根また屋根の水辺。ケーブルの留め金具、塔の石、対岸の建物を撮れば、Chiaro がそれが何で、誰が建て、何年のものかを教え、ブルックリン側の坂を下りきるまで、つづく質問にも答えつづけます。
出発前に
アクセス
歩くのは橋そのもので、ロウアー・マンハッタンとブルックリン・ハイツのあいだにあります。マンハッタン側では、橋がセンター・ストリートとぶつかる、シティ・ホール・パーク向かいの横断歩道から、またはパーク・ロウからの階段で遊歩道に上がれます。ブルックリン側では、遊歩道はティラリー・ストリートの角で、アダムズ・ストリートの中央分離帯に下りてきます。キャドマン・プラザ・イーストとキャドマン・プラザ・ウエストのあいだ、プロスペクト・ストリートの近くにも階段があります。門もチケットもありません。
マンハッタン側:ブルックリン・ブリッジ–シティ・ホール/チェンバーズ・ストリート駅。4・6・J系統は終日、5系統は深夜を除く終日、Z系統はラッシュアワーのみ停車します。ブルックリン側:ハイ・ストリート駅(駅名表示はハイ・ストリート–ブルックリン・ブリッジ)。橋の取り付け部の脇、キャドマン・プラザ・イーストにあり、A系統は終日、C系統は夜間を除いて停車します。ダンボのヨーク・ストリート駅にはF系統が終日停車します。
チケットと入場
- 2021年9月から、遊歩道は歩行者専用です。自転車には、マンハッタン方面行きの車道に保護柵つきの双方向レーンが設けられています。歩く人は板張りの遊歩道を歩き、車道側のレーンは自転車に任せましょう。
- 2026年春、市はシティ・ホール・パーク脇のマンハッタン側入口の改修に着手しました。歩行者の入口とは完全に分けて、自転車がセンター・ストリートぞいに専用の接続路を通れるようにし、橋と公園のあいだの南側の横断歩道の幅を2倍にする工事です。横断歩道では歩行者用の標識に従ってください。
- 橋の修理は絶え間なくつづいていて、交通局は、遊歩道の一部がときおり狭くなることがあると注意を呼びかけています。
- 橋と取り付け部を合わせた長さは6016フィート。マンハッタンから来た場合、ブルックリン側ではアダムズ・ストリートの坂か、プロスペクト・ストリートの階段で降りられます。どちらもハイ・ストリート駅まで歩いてすぐです。
公式音声ガイド
橋を運営しているのはニューヨーク市交通局で、その公式のブルックリン橋のページに載っているのは事実、歴史、修理の契約であって、ツアーではありません。市は有料・無料を問わず、独自の音声ガイドを出していません。ここにある5つの録音は、その代わりとなる独立したガイドで、マンハッタン側の坂からブルックリン塔まで、歩く順に並んでいます。下を走る車の音でイヤホンが聞こえにくくなる区間のために、どのプレーヤーの下にも全文を載せてあります。
公式サイト →よくある質問
ブルックリン橋の無料の音声ガイドはありますか?
このページがそれです。マンハッタン側の坂からブルックリン塔まで、ブラウザで再生できる5つの録音で、どれも下に全文を載せています。市は橋の音声ガイドを独自には出していません。5つの話が説明せずに通り過ぎるものがあれば、スマートフォンのカメラを向けてください。Chiaro アプリがその物語を補います。
チケットなしでブルックリン橋の音声ガイドを聞けますか?
はい。そもそも、この橋にはチケットがありません。遊歩道は公共の歩道で、イースト川の橋の通行料は1911年7月に廃止されています。5つのスポットはすべて遊歩道の上にあります。
ブルックリン橋の公式音声ガイドはいくらですか?
公式の音声ガイドはありません。橋を維持管理する交通局は、ブルックリン橋のページで事実、歴史、修理のお知らせを公開していますが、ツアーもアプリも音声ガイドも、無料・有料を問わず出していません。
ブルックリン橋は、マンハッタンとブルックリンのどちらから歩きはじめるべきですか?
スポットはマンハッタンからブルックリンへの順に並んでいるので、ブルックリン・ブリッジ–シティ・ホール/チェンバーズ・ストリート駅の隣、シティ・ホール・パーク向かいのセンター・ストリートの横断歩道から始めてください。ゴールはブルックリン塔で、そこからアダムズ・ストリートかプロスペクト・ストリートの階段へ下りれば、A・C系統のハイ・ストリート駅はすぐ近くです。
ブルックリン橋の遊歩道を自転車で走れますか?
いいえ。2021年9月から遊歩道は歩行者専用で、自転車はマンハッタン方面行きの車道に設けられた、保護柵つきの双方向レーンを使います。市が2026年に進めているマンハッタン側入口の再設計で、自転車にはセンター・ストリートぞいの専用の接続路ができます。
ほかの音声ガイド
Chiaro 制作。ブルックリン橋とは関係ありません。