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ストーンヘンジ · エームズベリー · 独立系ガイド

ストーンヘンジの音声ガイド、
5つのスポット、無料。

紀元前3000年ごろに掘られた直径およそ100メートルの土塁の輪。その内側に、紀元前2500年ごろサーセン石が立てられました。5つのスポットの話はこのページで聴けます。ソールズベリー平原のそれ以外のものは、写真を撮れば Chiaro が読み解きます。

Chiaro 制作。ストーンヘンジとは関係ありません。

9:41

ビジターセンターの大屋根、チケット売り場の手前

ストーンヘンジ、エームズベリー

0:00 2:18
スポット 1 / 5

5つのスポット · 音声 13 分

5つの場所、ひとつのルート、
歩く順番のとおりに。

ストーンヘンジを自分のペースで回るこの無料の音声ガイドは、ビジターセンターの大屋根の下、チケット売り場の手前から始まります。石から西へ2キロメートル離れた場所なので、最初のスポットはチケットを見せる前に聴けます。シャトルバスに乗るか、ナショナル・トラストの草地を歩いて石のもとへ向かえば、残りの4つは、ストーン・サークルを囲む見学路に沿って、遺跡自身の番号付き標識の順に続きます。北東側のヒール・ストーンとアヴェニュー、北側と東側に並ぶサーセン石と横石の外輪、南西から西にかけての円の裏側と大トリリトン、そして道がバスのほうへ折り返す北西側の、コンクリートの補修跡とオーブリー・ホールの標識です。5つを合わせた再生時間はおよそ10分。バスなら5〜10分、歩けば25〜40分で石に着き、その先は見学路を一周するだけです。

このページの年代、寸法、人名は、イングリッシュ・ヘリテージ自身の歴史解説ページと、同団体の音声ツアーの原稿に基づいています。2026年9月27日の公開前にウィキペディアと突き合わせ、それぞれ、よりどころになった一文をメモとして残しました。開館時間や料金は季節によって、さらには時間帯によっても変わるので、訪れる日の数字は english-heritage.org.uk で確かめてください。見学路の係員がこのページと違うことを言ったら、係員の言葉を信じて、私たちにも知らせてください。間違いは、そのままにしておくより直したいのです。

スポット 1 / 5 · ビジターセンター。建物の中央にある屋根付きの屋外オリエンテーション・エリアで、チケット売り場、カフェ、ショップ、展示室の入口が集まる場所

ビジターセンターの大屋根、チケット売り場の手前

建築設計はデントン・コーカー・マーシャル、発注はイングリッシュ・ヘリテージ · 2013年12月開館。石の横を通っていた A344号線は2013年6月に閉鎖 · 斜めに立つ細い柱に支えられた鋼製の大屋根と、その下の木張り・ガラス張りの建物。石から西へ2キロメートル

注目ポイント

  • 頭上の大屋根。斜めに立つ細い柱の上に薄い鋼の屋根が載り、小さな四角い穴がいくつも開いています。ここから石はまったく見えません。建物を2キロメートル離したのは、まさにそのためです。
  • 屋根付きエリアの真ん中にあるチケット売り場。そこより手前は、この最初のスポットも含めて、チケットがなくても大丈夫です。
  • 建物の奥へ抜ける通路。ショップの外から、石へ向かうシャトルバスが出ています。
書き起こし (2:18)

石を探しに行く前に、まず上を見てください。頭上の屋根は、小さな四角い穴がたくさん開いた薄い鋼の板で、斜めに立つ灰色の細い柱が林のように支えています。そしてこの屋根の下からは、遺跡がどこにも見えません。これは狙ってそうしたもので、しかも、つい最近のことです。2013年までは、駐車場もチケット売り場もストーン・サークルのすぐ脇にあり、幹線道路のA344号線が、ヒール・ストーンからわずか3メートルのところを通っていました。1993年には、下院の委員会が、ストーンヘンジの一般への見せ方を「国の恥」とまで呼んでいます。それを正すのに20年かかりました。石の横の道路は2013年6月に閉鎖され、舗装がはがされて芝生に戻されました。そして同じ年の12月、西へ2キロメートル離れたこの場所に、建築家デントン・コーカー・マーシャルが設計したこの建物が開館したのです。

古い駐車場からは、それ以前に、ストーンヘンジそのものより古いものが見つかっていました。1960年代に駐車場を造成していたとき、考古学者たちは、太さ4分の3メートルほどの松の柱を立てていた巨大な柱穴を、4つか5つ見つけたのです。イングリッシュ・ヘリテージは、これを紀元前8500年から紀元前7000年のあいだのものとしています。最初の溝が掘られる何千年も前に、狩猟採集民がこの場所に目印を立てていたわけです。

ここから石までの土地にも物語があるのですが、バスに乗る人のほとんどはそれを知りません。あなたはこれから、第一次世界大戦の飛行場の跡を横切ります。ストーンヘンジ飛行場は1917年11月に開設され、西部戦線へ向かう爆撃機の操縦士と観測員に、最後の訓練を施しました。ハンドレページ爆撃機の格納庫を備えた夜間訓練用のキャンプは、いまのファーゴ・プランテーション停留所の近くにあり、本部のキャンプは、ストーン・サークルのわずか300メートルほど西にありました。イギリス空軍が、低空飛行の邪魔になるから石を取り払ってほしいと求めた、という話を聞くことがあるかもしれません。その話が初めて活字になったのは1956年のことで、ヒストリック・イングランドのマーティン・バーバーが記録を調べたところ、それを裏づけるものは何ひとつ見つかりませんでした。

飛行場を消し去ったのは、一般からの募金でした。1927年、国王ジョージ5世を筆頭の寄付者とする基金が、飛行場とまわりの農地を買い取り、土地はナショナル・トラストに渡されました。1930年代の初めまでに、建物はひとつ残らず取り壊されています。これから目にする広々とした草地は、石だけがそこに立つ姿を望んだ人たちが、お金を出して手に入れたものなのです。

スポット 2 / 5 · ストーン・サークルの草地、北東側の見学路沿い。遺跡の公式ツアー標識3番「ヒール・ストーンとアヴェニュー」の地点

ヒール・ストーンとアヴェニューの終点

新石器時代後期の建設者たち。アヴェニューは青銅器時代初期に加えられた · ヒール・ストーンはストーンヘンジ第3期に設置、正確な年代は不明。アヴェニューは紀元前2300年ごろ · 加工されていないサーセン石。高さ約4.7メートル、さらに1.2メートルが地中に埋まり、円の中心から77.4メートルの位置に立つ。アヴェニューは幅約20メートルの通路

注目ポイント

  • 傾き。ヒール・ストーンは円のほうへ、垂直から27度近く傾いています。そして輪のなかのどの石とも違って、一度も形を整えられていません。
  • 草が刈られていれば、石の両側に約20メートルの間隔で平行に走る、2本の低い土手が見えます。エイヴォン川へ下っていくアヴェニューの最後の区間です。
  • 地面に埋め込まれた青銅の矢印。夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線を示しています。
  • 円のほうへ向かって草の上に横たわるスローター・ストーン(屠殺石)。雨のあとは、石に含まれる鉄分のせいで、くぼみにたまった水が赤く見えることがあります。
書き起こし (2:34)

道の脇に、ひとつだけ離れて、傾いて立っている大きな石。これがヒール・ストーンで、ここにある石のなかで唯一、誰にも形を整えられなかった石です。ストーン・サークルのサーセン石は、どれもハンマーストーンで叩いて滑らかに仕上げられています。ところがこの石は、自然のままの姿で残された巨石で、人々が立てる前から、まさにこの場所に横たわっていたのかもしれません。先端までの高さは約4.7メートル、地中にさらに1.2メートルが埋まっていて、円のほうへ、垂直から27度近く傾いています。イングリッシュ・ヘリテージの見積もりでは、重さはおよそ30トンです。

では、石の両側の草を見てください。刈られていれば、石から離れて斜面を下っていく、2本の低い平行な土手が見分けられます。間隔は約20メートル。これがアヴェニューの最後の区間です。紀元前2300年ごろに造られた、長さ3キロメートル近い土塁で、ストーンヘンジとエイヴォン川を結んでいます。アヴェニューは、至点の線に沿っています。夏至の日、円のなかから見ると、太陽はこの石の上に昇ります。冬至の日には反対の方角に沈み、その夕日はかつて、向こう側にあるいちばん高いトリリトンの2本の柱のあいだに、額縁のように収まって見えたはずです。この軸を示す青銅の矢印が地面に埋め込まれているので、足もとを探してみてください。

ただ、この線は、すべてが人の手で引かれたものではないかもしれません。アヴェニューの下には、最後の氷期が残した自然の畝と溝が走っていて、それがたまたま同じ方角を向いているのです。考古学者のマイク・パーカー・ピアソンは、建設者たちがそれに気づいたのであり、だからこそこの遺跡はここにあるのだと考えています。2013年までは、この場所を道路が横切り、ヒール・ストーンから3メートル以内のところを通っていました。2013年に舗装がはがされると、その下にアヴェニューの溝が残っていて、ストーン・サークルまでまっすぐ続いていることがわかりました。

あなたと石の輪とのあいだ、草の上に平たく横たわっている長い石板が、スローター・ストーン、つまり「屠殺石」です。かつては入口に立っていました。名づけたのは19世紀の見物人たちで、生贄を捧げる祭壇だと思い込んだのです。くぼみにたまった雨水が、石の鉄分で赤く染まるからかもしれません。ここで生贄が捧げられた証拠はありませんし、見物人たちが思い描いていたドルイドは、遺跡が築かれてから2000年以上もあとの人々です。それでもこの石は、ひとつだけ捧げ物を隠していました。1920年にウィリアム・ホーリーがこの石の脇を掘ったところ、石を据えた穴から、ポートワインの瓶が1本出てきたのです。置いていったのは、100年以上前に同じ穴を掘ったウィリアム・カニントンでした。

スポット 3 / 5 · ストーン・サークル、北側と東側の見学路。遺跡の公式ツアー標識4番「石」の地点

サーセン石の外輪と横石

新石器時代後期の建設者たち。ブリテン島に金属が伝わる前に、ハンマーストーンと鹿の角のつるはしで作業した · 紀元前2500年ごろに建立 · サーセン石の立石と横石からなる直径約30メートルの輪。横石の上端は地上4.9メートル。サーセン石の重さは平均25トン

注目ポイント

  • 立石の上にいまも載っている横石の連なり。横石を持つストーン・サークルは、世界でストーンヘンジだけです。
  • 横石を失った立石。てっぺんのこぶは「ほぞ」で、かつては横石の裏側に彫られたくぼみにはまっていました。
  • 仕上げの違い。アヴェニューに面したこの北東側は、次のスポットで見る側よりも丁寧に整えられています。
書き起こし (2:50)

見学路のこちら側から見ているのは、外輪のなかでいちばん保存状態のよい部分です。まず注目してほしいのは、ほかのどのストーン・サークルにもないもの、横石です。立石の上に水平に渡された石が、紀元前2500年ごろに置かれたその場所に、いまも載っています。横石を持つストーン・サークルは、世界でストーンヘンジだけなのです。

建設者たちは、サーセン石をまるで木材のように扱いました。立石のてっぺんにはこぶ、つまり「ほぞ」を削り出し、横石の裏側にはくぼみ、「ほぞ穴」を彫って、こぶの上にはめ込みました。さらに横石どうしは、端と端を「さねはぎ」で組み合わせて固定してあります。どれも大工の継手です。それを、ブリテン島にまだ金属がなかった時代に、石で刻んだのです。形を整えるには、サーセン石の塊であるハンマーストーンで表面を叩きました。削りくずや割れたハンマーストーンは、石が加工された北側の草地から大量に見つかっています。横石を失った立石を探してみてください。てっぺんのこぶ、ほぞが見えるはずです。

次は形を見てください。輪の直径は約30メートル、横石の上端は地面から4.9メートルの高さです。立石は上に行くほどわずかに広がっているので、見上げても先細りには見えません。横石も、円に沿って、ごくわずかに湾曲しています。内側を向いた面は、外側を向いた面より滑らかです。レーザー測量によって、この北東側、つまりアヴェニューと、人々がやって来た方角に面した側が、いちばん丁寧に仕上げられていることがわかりました。計画した人は、見る人がどこに立つかを知っていたのです。

長いあいだ、サーセン石の産地は、ただマールバラ・ダウンズとだけ言われてきました。2020年、ブライトン大学のデイヴィッド・ナッシュが率いるチームが、残っている52個のサーセン石のうち50個を、ひとつの地域に結びつけました。北へ約25キロメートル、マールバラ近郊のウェスト・ウッズです。決め手になったのは、1958年の補修のときにこの石のひとつからくり抜かれ、最近になってようやく返却された、円柱状の試料でした。

ここのサーセン石は、平均で25トンあります。1本を立てるには、片側を斜面にした穴を掘って奥の壁に木の杭を並べ、石を穴の縁まで滑らせてから、植物の繊維で作った綱で引き起こしました。おそらく、木を三角に組んだ枠を使ったのでしょう。横石はおそらく木の足場に載せて持ち上げ、ほぞは最後に、ぴったり合うように削りました。イングリッシュ・ヘリテージの見積もりでは、石のそばで何百人もが働き、その後ろでさらに多くの人が、食べ物を育て、子どもの面倒を見て、綱を作り、木を切っていました。

輪には隙間がありますが、そのすべてが古代のものというわけではありません。1900年の大みそかの嵐で、外輪の立石の1本が、横石ごと倒れました。この倒壊で危機感を抱いた所有者は手を打ち、そこから、支柱を当て、傾きを直し、コンクリートを流し込む1世紀が始まります。その跡は、この散策の最後に自分の目で確かめられます。

スポット 4 / 5 · ストーン・サークル、南西側から西側にかけての見学路。遺跡の公式ツアー標識6番「裏からの眺め」の地点

円の裏側と大トリリトン

新石器時代後期の建設者たち。ブルーストーンは青銅器時代初期に並べ替えられた · トリリトンは紀元前2500年ごろに建立。ブルーストーンは紀元前2300〜2200年ごろに並べ替え · 5組のサーセン石のトリリトンが幅13.7メートルの馬蹄形に並ぶ。現存するいちばん高い立石は地上7メートル超、さらに2.5メートルが地中に。ブルーストーンは1個2〜5トン

注目ポイント

  • てっぺんにこぶのある、いちばん高い石。大トリリトンでただ1本いまも立っている立石で、草地から7メートル以上の高さがあります。
  • 隙間と、こちら側の石の、粗くて角の甘い面。アヴェニューに面した側と比べてみてください。
  • 外輪と馬蹄形のあいだに立つ、小ぶりのブルーストーン。ウェールズ南西部から運ばれてきました。
  • 背後の地平線に並ぶ草の塚。石が見える範囲に築かれた、青銅器時代の円墳です。
書き起こし (2:40)

いま回り込んできたのは、イングリッシュ・ヘリテージが「円の裏側」と呼んでいるところです。こちらは隙間が多く、残っている石も粗く、角の整え方も雑です。そのうちの1本は、横石を載せるには短すぎ、細すぎます。イングリッシュ・ヘリテージの考古学者スーザン・グリーニーは、これを、アヴェニューの側から見られることを前提に造られた遺跡のしるしだと読み解きます。人々が近づいてくるのはこちら側ではなかったので、二級品の石があてがわれた、というわけです。そもそもこの輪は完成していたのだろうか、と考える考古学者もいます。けれども、雨の少なかった2013年の夏、草が枯れて色の変わった部分が、失われたサーセン石がかつて立っていたかもしれない場所を浮かび上がらせました。しかも、こちら側の石は真っ先に倒れていて、なかには砕かれて道路の舗装材にされたものもあります。

この隙間こそ、ここで立ち止まる理由です。隙間から、中央が見通せるからです。外輪の内側には、5組のトリリトンが馬蹄形に並んでいました。2本の立石にそれぞれ専用の横石を載せた組で、馬蹄形の幅は13.7メートル、石は最大で50トンあります。いちばん大きな組は、この南西の端に立っていました。その立石のうち、いまも立っているのは1本だけで、すぐに見分けがつきます。遺跡でいちばん高い石で、地上7メートル以上、さらに地中に2.5メートル。てっぺんには、横石が載っていたこぶがあります。冬至の日には、沈む夕日がこの石と相方の石のあいだに収まって見えたはずです。1901年にはこの石が危険なほど傾いていたため、ウィリアム・ゴーランドがまっすぐに立て直し、コンクリートで固めました。その際、建設者たちが据えた位置から、約0.5メートル動いています。

その向こう、中央のあたりに目をやると、倒れたサーセン石が上に横たわっている、長く平たい石板が見えるかもしれません。これが祭壇石で、長さ4.9メートル、紫がかった緑色の砂岩です。長いあいだウェールズのものだと考えられてきましたが、2024年、研究者たちはこれを、約690キロメートル離れたスコットランド北東部のオーカディアン盆地のものと突き止めました。

2つの輪のあいだには、小ぶりのブルーストーンが立っています。1個2〜5トンで、240キロメートル以上離れたウェールズ南西部、プレセリ丘陵から来たものです。

では、石に背を向けてください。ほとんどどの方角でも、地平線に見える草の塚は円墳です。紀元前2200年ごろから築かれるようになった墓で、この一帯に300以上あり、その多くが遺跡を見下ろす尾根の上にあります。晴れた日には、幹線道路の向こうに、小さな茂みの生えた塚を探してみてください。それがブッシュ・バロウです。19世紀の初め、2人の好古家がここで、ひし形の金の板2枚、金のベルト飾り、そして金の鋲で飾られた青銅の短剣とともに葬られた男性を見つけました。

スポット 5 / 5 · ストーン・サークル、シャトルバスのほうへ戻っていく北西側の見学路。遺跡の公式ツアー標識7番「オーブリー・ホール」と8番「保存と修復」の地点

コンクリートの補修跡とオーブリー・ホールの標識

オーブリー・ホールは新石器時代の建設者たち。1901〜1964年の修復は工務局とその後身の工務省。2021年の補修はイングリッシュ・ヘリテージの保存修復担当者 · オーブリー・ホールは紀元前3000年ごろ。修復は1901年、1919〜1920年、1958〜1959年、1964年。石灰モルタルによる補修は2021年9月 · 直径約100メートルの土手と溝の内側に並ぶ、56個の穴の輪。穴はそれぞれ直径約1メートル。いくつかのサーセン石の下にはコンクリートの基礎と充填材

注目ポイント

  • 見学路に埋め込まれた標識と、その両側の草のなかにある2つの標識。それぞれが、約5000年前に掘られた56個のオーブリー・ホールのひとつの位置を示しています。
  • 内側の大きな石の1本で、根元のくぼみを埋めている平らで黒っぽい塊。1958〜1959年の修復で使われたコンクリートで、わざと見えるように残されています。
  • 立石のてっぺんのほぞと、横石の裏のほぞ穴。輪をひとつにつなぎとめている継手です。
  • 石に模様を描く地衣類。2021年の横石の補修では、保存修復の担当者がこれを傷めないように作業しました。
書き起こし (2:48)

石を見る前に、足もとを見てください。この見学路には小さな標識が埋め込まれていて、その両側の草のなかにも、さらに2つあります。どれも、約5000年前に掘られた穴の位置を示すものです。遺跡をぐるりと囲む土手のすぐ内側に並んだ、56個の穴の輪の一部で、大きな石がひとつでも運び込まれる500年前に掘られました。穴に何が立っていたのか、木の柱なのか石なのかは、いまも議論が続いています。でも、あとから何が納められたかについては、議論の余地がありません。これらの穴とその周辺、そして溝から、考古学者たちは約64基の火葬墓を見つけていて、イングリッシュ・ヘリテージは、かつてここに150人もの人が葬られていたかもしれないと考えています。つまりここは、ブリテン諸島で最大の、新石器時代後期の墓地なのです。穴の名前は、1666年に遺跡の平面図にこれを記録したジョン・オーブリーにちなんでいます。

死者たちは、その後も落ち着かない時を過ごしてきました。1920年、ウィリアム・ホーリーは火葬骨を掘り出しましたが、重要ではないと判断し、1935年に全部まとめて、ひとつの穴、オーブリー・ホール7番に埋め戻してしまいます。2008年、それが再び掘り出されました。5万を超える骨片は、63人分であることがわかりました。男女はほぼ同じ数で、子どもも含まれていました。そして骨に含まれるストロンチウムからは、その多くが、ウェールズにあるブルーストーンの石切り場の近くで暮らしていたことがうかがえます。

では、いちばん近くにある石の根元を見てください。内側の大きな立石の1本では、根元のくぼみを、平らで黒っぽい塊が埋めています。これは1958年から1959年にかけての修復で流し込まれたコンクリートです。イングリッシュ・ヘリテージは、補修もまた遺跡の歴史の一部だとして、わざと見えるままにしています。草の下には、さらに多くのコンクリートが隠れています。修復に携わった人々は、1919年以降、傾いた石をまっすぐに立て直し、1797年に倒れてから161年間地面に横たわっていたトリリトンを元に戻しました。そして1963年3月10日の朝に外輪の石が1本、風で倒れると、1964年にまた戻ってきました。いちばん最近の作業は、もっと穏やかなものです。2021年9月、保存修復の担当者たちは、水を閉じ込めてしまう横石の古いセメントを、通気性のある石灰モルタルに取り替えました。地衣類を傷めないよう、気を配りながらの作業でした。

それから、見学路沿いのロープのことです。1978年までは、来場者は石のあいだを歩くことができました。その年、破壊行為と落書きのために円のなかは立ち入り禁止になり、1984年には何者かが石に紫色のペンキを吹きつけました。イングリッシュ・ヘリテージによれば、来場者は年間約100万人。なかを歩けるようにすれば、地面はたちまちぬかるみになってしまうそうです。ストーンヘンジは、いまではほぼ半分が発掘されています。残りの半分は、あなたが立っているところから数メートル先の芝の下に、まだ眠っています。

独立系ガイド · Chiaro

ストーンヘンジで目にするものすべてに、Chiaro を向けてください。

ここで紹介するのは5つのスポットだけですが、この遺跡のまわりには300を超える墳丘墓、カーサスと呼ばれる細長い土塁、そして長さ3キロメートルのアヴェニューが広がっています。尾根の上の墳丘、てっぺんにこぶのある石、横石のほぞ穴にスマートフォンをかざせば、目の前のものが何で、誰が立てたのかを Chiaro が説明し、次に聞きたくなったことにも答えます。

ヒール・ストーンはどれ?どうして石のあいだを歩けないの?尾根の上の塚は何?

出発前に

01

アクセス

Stonehenge, near Amesbury, Wiltshire, SP4 7DE(ストーンヘンジ、ウィルトシャー州エームズベリー近郊)。来場者は全員ビジターセンターに到着します。A303号線から案内標識に従い、A360号線に入った先にあり、駐車場は Loverose Way(ラヴローズ・ウェイ)の突き当たりです。建物へ歩いて近づくと、屋根に覆われたエリアの真ん中にチケット売り場があり、最初のスポットはここで聴くためのものです。石まではシャトルバスか徒歩で2キロメートルです。

最寄り駅は12マイル(19キロメートル)離れたソールズベリー駅です。ロンドン・ウォータールー駅から直通列車で約1時間半、ブリストル、バース、サウサンプトンからも列車が頻繁に出ています。駅前広場からは直通バスが1時間に1本出ており、駅からタクシーを使うこともできます。車ならロンドン中心部から約2時間で、カーナビには SP4 7DE を入力してください。駐車場は会員以外は有料です。

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チケットと入場

  • 前日の深夜0時までにオンラインで予約すると、最大15%安くなります。当日もオンラインか現地で買えますが、正規料金になります。料金は日付や時間帯によって変わるので、行く日の金額は公式の料金ページで確かめてください。予約すると到着の時間枠が決まり、入場したあとは、チケットは一日じゅう有効です。
  • 一般入場券では、見学路をたどってストーン・サークルを一周でき、ところによっては石から5メートルまで近づけますが、円の内側には入れません。石のあいだを歩くには、別予約の Stone Circle Experience(ストーン・サークル・エクスペリエンス)が必要です。所要1時間で、通常の開館時間外の早朝か夕方に行われ、10月と11月は実施されません。イングリッシュ・ヘリテージとナショナル・トラスト(イングランド)の会員は入場無料です。
  • 開館時間は一年を通じて変わり、6月、7月、8月は遅くまで開いています。石まで行って戻る時間を残すため、最終チケットの販売は閉館よりかなり前に終わります。訪れる日の時間は公式カレンダーで確認してください。
  • クロークはなく、石のそばには雨風をしのげる場所もありません。到着時に手荷物検査を受けることもあるので、荷物は必要なものだけにして、吹きさらしの平原に合った服装で。介助犬を除き、犬はストーン・サークルのある草地にもシャトルバスにも入れません。
公式チケット →
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公式音声ガイド

イングリッシュ・ヘリテージ自身の音声ガイドは、App Store または Google Play から入手できる無料のスマートフォンアプリです。13言語に対応し、ストーン・サークル、周囲の景観、展示の各ツアーのほか、視覚に障害のある方向けの音声解説ツアー(英語)もあります。現地での端末の貸し出しはもう行われていないので、出かける前にダウンロードし、ヘッドホンを持っていきましょう。このページは、それに添える短い案内です。実際に立つことになる場所を選んだ5つのスポットを、ダウンロード不要のウェブページで再生でき、平原を吹き抜ける風で音がかき消されたときのために、各プレーヤーの下に原稿を載せています。

公式サイト →

よくある質問

ストーンヘンジに無料の音声ガイドはありますか?

イングリッシュ・ヘリテージ自身のガイドが無料です。13言語に対応したスマートフォンアプリで、ストーン・サークル、周囲の景観、展示をカバーしています。現地で端末の貸し出しはないので、ヘッドホンをお忘れなく。このページにある Chiaro の5スポットも無料で、ダウンロードは要りません。ブラウザで開けば、ビジターセンターのチケット売り場から始まります。

チケットがなくてもストーンヘンジの音声ガイドを聴けますか?

最初のスポットなら聴けます。ビジターセンターの大屋根の下、チケット売り場の横で再生するもので、チケットがないと見られないものは何も出てきません。残りの4つは、一般入場券で行けるストーン・サークルまわりの見学路に沿って進みます。家で読みたい方のために、各プレーヤーの下に原稿も載せています。

ストーンヘンジの公式音声ガイドはいくらですか?

無料です。イングリッシュ・ヘリテージの音声ガイドは App Store か Google Play から無料でダウンロードでき、13言語に対応しています。ツアーの全文は、公式サイトで PDF として公開されています。現地での端末の貸し出しは終わっているので、自分のスマートフォンとヘッドホンが必要です。

ストーンヘンジのストーン・サークルの中に入れますか?

一般入場券では入れません。通常の開館時間中は、誰もが見学路を歩きます。見学路は円を一周し、ところどころで石から約5メートルまで近づきます。中に入るには Stone Circle Experience の予約が必要です。通常の時間外の早朝か夕方に行われる1時間の見学で、枠はごくわずか、10月と11月は実施されません。

ストーンヘンジではどこから始めて、どうやって石まで行けばいいですか?

唯一の入口であるビジターセンターから始めます。石の西2キロメートルにあります。シャトルバスがショップの外から数分おきに出ていて、所要5〜10分。ナショナル・トラストの草地を25〜40分歩いて行くこともできます。出発前に最初のスポットを聴いておきましょう。2番目のスポットのヒール・ストーンは、円をめぐる見学路の歩き始めのあたりにあります。

ほかの音声ガイド

Chiaro 制作。ストーンヘンジとは関係ありません。