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エディンバラ城 · エディンバラ · 独立系ガイド

エディンバラ城の音声ガイド、
5つのスポット、無料。

およそ3億5000万年前の火山岩頸の上、海抜130メートルに立ち、26回の包囲をくぐり抜けてきた要塞。5つの場所の話はこのページで聴けます。岩山の上のそれ以外のものには、Chiaro のカメラを向けてください。

Chiaro 制作。エディンバラ城とは関係ありません。

9:41

エスプラネードとゲートハウス

エディンバラ城、エディンバラ

0:00 2:11
スポット 1 / 5

5つのスポット · 音声 12 分

5つの場所、ひとつのルート、
歩く順番のとおりに。

エディンバラ城の音声ガイドは、坂のふもと、エスプラネードから始めましょう。まだ誰もチケットを求めてこない場所で、最初のスポットに必要なのは門がよく見えることだけです。チケットの確認はポートカリス・ゲート(落とし格子門)で行われ、2つ目のスポットでは、そこから北へ折れてアーガイル砲台をワン・オクロック・ガンまで歩きます。そこからは石畳の道がおよそ350メートル上っていき、いちばん急なのはフーグズ・ゲートのあたり。上り切るとクラウン・スクエアで、その南側にグレート・ホールがあります。アッパー・ワード(上郭)の東端にあるハーフムーン砲台からは、登ってきた尾根を見下ろせます。最後は頂上の聖マーガレット礼拝堂とモンス・メグで、出口へ下りる石段もそのすぐそばです。聴く時間は合わせて10分ほど。すべて自分のペースで回れて、城自身が勧める所要時間2時間の中に収まります。

開館時間、料金、門を通る順路は、2026年9月26日に Historic Environment Scotland の公式サイト edinburghcastle.scot で確かめ、それぞれの根拠となる公式の文言と一緒に保存しています。歴史の記述は、別の独立した資料一つと照らし合わせました。開館時間は季節によって変わり、悪天候のときは急に閉まることもあるので、その日の最終的な情報は城のウェブサイトで確かめてください。岩山の上で係員の言うことがこのページと違っていたら、係員の言葉に従ってください。そして、何が変わったのか私たちに教えていただければ助かります。

スポット 1 / 5 · 城門の外のエスプラネード。西を向いてゲートハウスを見ると、その上にハーフムーン砲台、左手にロイヤル・パレス(宮殿)が見えます

エスプラネードとゲートハウス

エスプラネードは1753年に練兵場として整備。ゲートハウスは王立工兵局の R・ローソン・スコットの設計で1886〜1888年、壁龕はロバート・ロリマー卿(1864〜1929)。ロバート・ザ・ブルース像(トマス・クラッパートン作)とウィリアム・ウォレス像(アレグザンダー・キャリック作、1882〜1966)は1929年に設置 · エスプラネード1753年、1845年に延長。空堀1742年。ゲートハウス1888年。彫像1929年 · 長さ110メートル、5度の傾斜でゲートハウスとその堀へ上っていく舗装の前庭。土台のキャッスル・ロックはドレライトの火山岩頸で、頂上は海抜130メートル

注目ポイント

  • 門の両脇の壁龕に立つ2体の像、ロバート・ザ・ブルースとウィリアム・ウォレス。置かれたのは1929年で、ゲートハウスそのものが建ってから41年後のことです。
  • アーチの上に刻まれた標語 Nemo me impune lacessit。「我に手出しする者は必ず報いを受ける」という意味です。
  • ゲートハウスの背後にそびえる、大きく弧を描く壁。これがハーフムーン砲台で、その左の背の高い建物がロイヤル・パレスです。
  • エスプラネードの両側の落ち込み。岩山は北・南・西を崖に守られていて、無理なく登れるのはこの東側の斜面だけです。
書き起こし (2:11)

この城のことは、すべて足もとの坂から始まります。いま立っているのは、岩山に登れるただ一つの楽な道です。目の前の岩は、およそ3億5000万年前に噴き上がった火山の、いわば栓にあたる部分。北と南と西では、その崖が下の地面まで80メートルも切れ落ちています。硬いドレライトは氷河に削られずに残り、後ろにある柔らかい岩をかばいました。旧市街がここから東へ、一本の長い尾のように下っていくのはそのためです。城に楽に入れる道は、あなたのほうへ向かって延びるこの尾根だけ。だから、これからくぐる門はどれも、こちら側を向いています。

この広場は、見た目より新しいものです。練兵場として整えられたのは1753年、延長されたのは1845年。それ以前ここには「スパー」と呼ばれる、1548年の角張った土の稜堡がありました。イタリア式の稜堡としては、イギリスでも最も早い例の一つです。そして1573年の春、尾根のこちらの端は砲台になっていました。「ラング・シージ」、つまり長い包囲戦のさなか、イングランド軍は城の東の壁に真正面から向き合うキャッスル・ヒルに砲台を築き、5月17日から12日間で、およそ3000発を城に撃ち込みました。このことを覚えておいてください。4つ目のスポットでは、そのとき壊された跡の上に築かれたものの上に立つことになります。

では、正面のゲートハウスを見てください。目の前の石造りの中ではいちばん新しく、1888年に、守りのためではなく飾りとして加えられました。壁龕の2体の像はさらに後の1929年のもので、トマス・クラッパートンのロバート・ザ・ブルースと、アレグザンダー・キャリックのウィリアム・ウォレスです。アーチの上には、Nemo me impune lacessit、「我に手出しする者は必ず報いを受ける」という標語。2014年の研究によれば、この城は1100年のあいだに26回も包囲されています。そう名乗るのも無理はありません。門の前の空堀が今の形になったのは1742年です。

ゲートハウスの上、その奥には、ハーフムーン砲台の大きな弧を描く壁がそびえ、左にはロイヤル・パレスの背の高い建物が立っています。砲台と宮殿が並ぶこの正面こそ、1580年代から城が町に向けてきた顔です。

通り抜ける前に、一つだけ覚えておいてください。ゲートハウスのトンネルの中に、砲車を刻んだ古い石のレリーフがあります。頂上に着いたら、この砲車をまねて台車が作られた大砲に出会うことになります。

スポット 2 / 5 · チケットを確認されるポートカリス・ゲート(落とし格子門)を抜け、右手のアーガイル砲台に出て、北のプリンシズ・ストリートを見下ろす位置。ワン・オクロック・ガンは砲台の突き当たり、レッドコート・カフェの隣です

ポートカリス・ゲートとアーガイル砲台

門はラング・シージの後に摂政モートンが着工し、上部は1584年にウィリアム・ショーが完成。上部はイポリット・ブラン(1844〜1917)がアーガイル・タワーとして建て直し、費用はウィリアム・ネルソンが負担。アーガイル砲台はジョン・ローマー大尉の設計、ウィリアム・アダムの施工 · 門は1570年代から、上部1584年。アーガイル・タワー1886〜1887年。アーガイル砲台1720〜1730年代。ワン・オクロック・ガンの初発射1861年 · スコティッシュ・バロニアル様式の塔を載せた、荒石と切石の門楼。砲台は北面の砲座で、ワン・オクロック・ガンは現在105ミリ野砲

注目ポイント

  • 門の上下二つの層。アーチのまわりは16世紀の素朴な荒石積み、その上にはイポリット・ブランが1880年代に建てた、持ち送りの胸壁と丸い角の小塔をもつ塔が載っています。
  • アーガイル砲台に並ぶ大砲。北のプリンシズ・ストリートと新市街に砲口を向けています。
  • 砲台の突き当たり、レッドコート・カフェの隣のミルズ・マウントに置かれたワン・オクロック・ガン。
  • 北東のカールトン・ヒルに立つネルソン記念塔。この大砲はもともと、そこにあったタイムボールを補うために導入されました。
書き起こし (2:25)

門をくぐってすぐのところで立ち止まり、振り返って、いま通り抜けてきたものを見てください。ポートカリス・ゲートは、二つの建物を上下に重ねたものなのです。

下半分、アーチのまわりのごつごつした荒石積みは、ラング・シージの後に摂政モートンが始めた工事です。ここには以前、1370年代に建てられたコンスタブルズ・タワーという円塔がありました。1573年5月23日、エスプラネードでお話ししたイングランド軍の砲撃を受けてこの塔は崩れ落ち、瓦礫が城の入口をふさいでしまいました。新しい門の上部を仕上げたのは、1584年のウィリアム・ショーです。

上半分は、別の世紀のものです。1886年から1887年にかけて、エディンバラの建築家イポリット・ブランが、飾り気のない上階を、いま見えるスコティッシュ・バロニアル様式の塔に置き換えました。小塔と持ち送りの胸壁だらけの塔で、費用を出したのはエディンバラの出版人ウィリアム・ネルソンです。極端なかたちの修復だと評されてきました。アーガイル・タワーという名は、1685年に処刑される前ここに捕らえられていた第9代アーガイル伯にちなみます。伯爵がこの城に入れられたのは、これが初めてではありません。何年も前には、姉妹の従僕に変装してこの城から逃げ出しているのです。

では北を向いて、アーガイル砲台に出てみましょう。城のこちら側は18世紀のものです。1728年、ウェイド将軍は城の守りが朽ちていて役に立たないと報告しました。そこで1720年代から30年代にかけて、軍の技師ジョン・ローマー大尉が設計し、建築家ウィリアム・アダムが施工して、北面と西面に新しい砲台の列が築かれました。この砲台を守る大砲は6門。その先には北への眺めが開けています。真下にプリンシズ・ストリート、その向こうに新市街、そして地平線にはフォース湾です。

突き当たりのミルズ・マウントにあるのが、ワン・オクロック・ガン、午後1時の号砲です。1861年、実業家のジョン・ヒューワットがパリからこの発想を持ち帰りました。フォース湾の船が時計を合わせられるようにするためです。この号砲は、右手のカールトン・ヒルに見える背の高い塔、ネルソン記念塔のタイムボールを補うものでした。タイムボールは霧の日には役に立たなかったのです。音は遅れて届くので、1861年には、エディンバラのどこに砲声が何秒後に届くかを示した地図まで刷られました。この大砲が本気で撃たれたのは一度だけ。1916年4月2日、ドイツの飛行船ツェッペリンを狙い、外しました。2001年からは105ミリ野砲が使われていて、その音にはいまも、下のプリンシズ・ストリートを歩く人たちが飛び上がります。

スポット 3 / 5 · クラウン・スクエアの南側。城自身が「まさに中心」と呼ぶ場所です。広場の東側にロイヤル・パレス、北側にスコットランド国立戦争記念館があります

クラウン・スクエアのグレート・ホール

国王ジェームズ4世のために建設。1880年代に始まり、ウィリアム・ネルソンが費用を出した工事でイポリット・ブラン(1844〜1917)が修復 · 1511年完成。1650年から兵舎、のちに陸軍病院。イポリット・ブランによる修復 · 砂岩の大広間。彫刻を施した石の持ち送りに木造のハンマービーム屋根が載る。29×12.5メートル

注目ポイント

  • 屋根。彫刻された石の持ち送りに巨大な木の梁が載っています。スコットランドに2つしか残っていない、中世のままのハンマービーム屋根の一つです。
  • 梁の下の石の彫刻。人の頭やアザミなどのしるしが刻まれ、そのルネサンス風の細部はフランスのブロワの作例と比べられてきました。
  • 広場に出て、ロイヤル・パレスの扉の上にある金色の頭文字 MAH。スコットランド女王メアリーと、ダーンリー卿ヘンリー・ステュアートを表します。
  • 広場の北向かいにあるスコットランド国立戦争記念館。1927年に兵舎の棟から追悼の場に生まれ変わりました。
書き起こし (2:43)

ここは城のいちばん上の段です。そしてここが平らなのは、クラウン・スクエアがあるからにほかなりません。下の岩はでこぼこなので、1430年代、建設者たちは大きな石のヴォールトを組んで土台を持ち上げ、その上に広場を造りました。広場は4つの建物に囲まれています。東側にロイヤル・パレス、北側にスコットランド国立戦争記念館、西側にクイーン・アン・ビルディング、そしてここ南側にグレート・ホール、大広間です。

中に入る前に、ほかの3つについて少し。宮殿では、1566年6月19日、スコットランド女王メアリーがジェームズ6世を産みました。生後13か月でスコットランド王となり、1603年からはイングランド王も兼ねた人物です。扉の上の金色の頭文字 MAH を探してみてください。メアリーと、2番目の夫、ダーンリー卿ヘンリー・ステュアートです。宮殿の2階にはクラウン・ルームがあり、イギリスで最も古い王権の象徴、スコットランドの王冠・王笏・宝剣、オナーズ・オブ・スコットランドが収められています。王冠はジェームズ5世のために作られ、1540年に初めてかぶられました。オナーズは1651年から1660年までクロムウェル軍の目から隠され、1707年のイングランドとの合同の後は箱に鍵をかけてしまい込まれ、1818年になってようやくウォルター・スコット卿によって再発見されました。広場の向かいの戦争記念館は、もとは北兵舎でした。それをロバート・ロリマー卿が追悼の場に造り替え、1927年に開かれました。第一次世界大戦に志願した人の5人に1人が帰らなかった国のための場所です。その内部では、キャッスル・ロックのいちばん高いところが床を突き破って顔を出しています。

では大広間に入って、上を見てください。見どころは屋根です。ジェームズ4世がこの広間を完成させたのは1511年。巨大な木の梁が、人の頭やアザミなどのしるしを彫った石に載っています。その彫刻のルネサンス風の細部は、1515年ごろのフランス、ブロワの作例と比べられてきました。スコットランドで、中世のハンマービーム屋根が当時のまま残る広間は、ここを含めて2つしかありません。その下の床は、29メートル×12.5メートルです。

ところがジェームズは、ここをほとんど使えませんでした。完成の2年後、義弟ヘンリー8世の軍と戦ったフロドゥンの戦いで命を落としたのです。1650年にクロムウェルの軍が城を奪うと、広間は兵舎にされ、1737年には床を張って3層に仕切り、312人の兵士を寝泊まりさせました。のちには陸軍病院にもなります。下で通ってきたアーガイル・タワーの建築家イポリット・ブランが、19世紀の人々が思い描く「中世の大広間らしい姿」に、この広間を修復しました。

一つ、忘れてよい話があります。スコットランド議会がこの広間で開かれたという証拠はありません。一方、チャールズ1世は1633年にこの広間で宴を開き、スコットランドでの戴冠式の前夜、6月17日に隣の宮殿で眠っています。それ以来、在位中の君主がこの城に泊まったことはありません。

スポット 4 / 5 · 城の東側、正面入口とエスプラネードを見下ろす位置。アッパー・ワード(上郭)の東端、ロイヤル・パレスの隣です

ハーフムーン砲台

摂政モートンのもとで築造。工事の一部は工事監督ウィリアム・マクダウォールが指揮し、デイヴィッド2世の塔の廃墟の上に築かれた · 1573〜1588年、1367〜1368年着工のデイヴィッズ・タワーの上に築造。塔は1912年に再発見 · デイヴィッズ・タワーを包み込む、弧を描く石造りの砲台。塔はL字形の平面で、主棟は16×12メートル、高さ18メートル。遺構は今も岩から最大15メートルの高さで残る

注目ポイント

  • 尾根に沿った東への眺め。真下にエスプラネード、その先に旧市街、カールトン・ヒル、アーサーズ・シートの山腹、そしてフォース湾。
  • 胸壁に並ぶ大砲。ナポレオン戦争中の1810年に造られた18ポンド砲です。
  • 真下のエスプラネード。ラング・シージの砲台はそのすぐ先のキャッスル・ヒルに築かれ、城のこちら側を狙っていました。
書き起こし (2:09)

城の中で、登ってきた道をまっすぐ見下ろせるのはここだけです。下には、この散策が始まったエスプラネード。その先には尾根に沿って東へ続く旧市街があり、背後にカールトン・ヒル、アーサーズ・シートの長い山腹、そしてフォース湾が広がります。1573年5月、あの下のキャッスル・ヒルにはイングランド軍の大砲が並び、ちょうどあなたがいま立っている場所にあった塔を狙っていました。

というのも、この砲台はいわば「ふた」なのです。下には、デイヴィッズ・タワーの遺構が眠っています。1367年か1368年にデイヴィッド2世が着工し、王は完成を見ないまま1371年にこの城で亡くなりました。塔はL字形の平面で、主棟は16メートル×12メートル、高さ18メートル。城でも指折りの暗い物語が、この塔の中で起きています。1440年11月、16歳のダグラス伯とその弟がここに呼び出され、のちに「ブラック・ディナー」、黒い晩餐と呼ばれる宴でもてなされた後、10歳の国王ジェームズ2世の目の前で処刑されました。1479年には、兄ジェームズ3世への陰謀の罪でこの塔に閉じ込められたオールバニ公が、見張りを酔いつぶし、窓からロープを伝って逃げ出しています。

そしてラング・シージが来ます。グレンジのカーコーディが、スコットランド女王メアリーのために城を守っていました。1573年5月22日、イングランド軍の砲撃のなかで、デイヴィッズ・タワーの南の壁が崩れ落ちます。1週間もしないうちにグレンジは降伏し、8月3日、エディンバラのマーケット・クロスで絞首刑になりました。

摂政モートンは、1573年から1588年にかけて、その残骸の上にこの砲台を築きました。歴史家の評価は手厳しいものです。巨大で見た目は立派だが、砲台としては当時すでに役に立たず、時代遅れだった、と。それでもこの砲台は、古い塔を埋め隠し、宮殿を城の顔として前に押し出しました。むしろそれこそが狙いだったのかもしれません。塔そのものは忘れ去られ、1912年の定期的な補修工事でようやく再び見つかりました。外壁には、1573年の砲弾の傷がまだ残っていました。遺構は岩から最大15メートルの高さで立っています。

この塔には、もう一つ守るべき秘密がありました。第二次世界大戦中、スコットランドの王冠はこの塔の中、中世の便所の跡に埋めて隠されていたのです。

目の前の胸壁に並ぶ大砲は、ナポレオン戦争中の1810年に造られた18ポンド砲です。そして、城で最初に時を告げる号砲が撃たれたのも、この砲台からでした。その後、ワン・オクロック・ガンは北側のミルズ・マウントに移ります。

スポット 5 / 5 · アッパー・ワード(上郭)、岩山の頂上。フーグズ・ゲートを抜けると、ウイスキー&ファイネスト・フード・ショップの先の左手に礼拝堂があり、その外にモンス・メグが据えられています

聖マーガレット礼拝堂とモンス・メグ

礼拝堂は国王デイヴィッド1世のために建てられ、1851〜1852年に修復。窓はダグラス・ストラカン(1875〜1950)。モンス・メグはブルゴーニュ公フィリップ善良公のために造られ、国王ジェームズ2世に贈られた · 礼拝堂1130年ごろ、窓1922年。モンス・メグ1449年、1457年にジェームズ2世へ贈呈、1829年から再び城に · 荒石積みの礼拝堂。壁厚61センチ、身廊は内法で長さ4.87メートル、幅3メートル、半円形の内陣アーチは幅1.52メートル。モンス・メグは重さ約6トンの錬鉄製射石砲で、150キロの石弾を撃った

注目ポイント

  • 礼拝堂の中の内陣アーチ。半円のロマネスク様式で、山形のジグザグ模様が刻まれ、建てられた当時のままです。
  • ダグラス・ストラカンによる1922年の聖マーガレットの窓。冠をいただき本を手にした姿で、足もとの巻物に名前が記されています。
  • モンス・メグの砲身をつくる鉄の輪と長い鉄板、そして傍らに置かれた大きな石の砲弾。
  • モンス・メグのテラスの下の岩棚にある、小さな犬の墓地。兵士たちが連隊のマスコット犬を葬った場所です。
書き起こし (2:30)

ここは岩山の頂上です。そばにある小さな飾り気のない建物は、エディンバラで最も古い建物です。国王デイヴィッド1世が1130年ごろに建て、母マーガレットにちなんで名づけました。マーガレットは1093年にこの城で亡くなった王妃で、1250年に教皇インノケンティウス4世によって聖人に列せられています。とても小さな建物です。中の身廊は長さ5メートル足らず、幅3メートルで、壁の厚さは61センチあります。

中に入って、身廊と聖域のあいだのアーチを見てください。半円のロマネスク様式で、山形のジグザグ模様が刻まれています。そしてこれは、建てられた当時のままです。ここにあるほかのものは、ほとんどが一度失われ、また見つけ出されたものです。1314年3月14日の夜、城はロバート・ザ・ブルースの手に落ちました。ブルースは岩山の上の建物を、この礼拝堂を除いてすべて壊させ、1329年、死の床で修理のためのお金を残しています。16世紀からは火薬庫として使われ、その由来はすっかり忘れられてしまいました。1845年、好古家のダニエル・ウィルソン卿が、守備隊の礼拝堂の端で物置になっているこの建物を見つけ、ようやく再発見されたのです。1851年から1852年にかけて、ヴィクトリア女王の後押しで修復されました。

窓はこの中でいちばん新しいものです。1922年にダグラス・ストラカンが作った5枚の窓に、聖マーガレット、聖アンデレ、聖コルンバ、聖ニニアン、そしてウィリアム・ウォレスが描かれています。冠をいただき、本を手にして、足もとの巻物に名前が記されたマーガレットを探してみてください。ここにはいつも新しい花が供えられています。礼拝堂の会の人たちが絶やさず届けているからで、その会のメンバーは全員、聖人と同じマーガレットという名前をもっています。

では外に出て、テラスの大砲を見てみましょう。これがモンス・メグです。造られた町、いまのベルギーのモンスにちなんで名づけられ、1457年に国王ジェームズ2世に贈られました。重さは約6トン、150キロの石の砲弾を3.2キロ先まで飛ばしました。砲身を見ると、造り方がわかります。長い鉄板を並べ、鉄の輪で締め上げてあるのです。1460年には、ロクスバラ城の包囲戦へ80キロの道のりを引いていかれました。牛の群れに引かせても、1日に5キロ以上は進めなかったといいます。ジェームズはその包囲戦で、別の大砲が暴発して命を落としました。1558年、スコットランド女王メアリーの結婚を祝って撃たれた砲弾は、いまの王立植物園のあたりに落ちています。1681年に砲身が破裂し、75年間をイングランドで過ごした後、1829年、騎兵と歩兵に護衛されてリース港から帰ってきました。

この台車が、ゲートハウスで覚えておいてと言ったものです。あのトンネルの石のレリーフをまねて作られています。下りはじめる前に、このテラスの下の壁の向こうをのぞいてみてください。兵士たちが連隊の犬を葬った、小さな墓地があります。

独立系ガイド · Chiaro

エディンバラ城のどんなものにも、Chiaro を向けてください。

何百もの見どころが詰まった岩山で、ここで紹介するのは5か所だけ。兵舎の扉の上に刻まれた連隊章、フォアウォールに置かれた説明板の見当たらない大砲、グレート・ホールで人の顔が彫られた持ち送り、旧市街のスカイラインに突き出た尖塔。写真を撮れば、それが何で、誰が造り、そこで何があったのかを Chiaro が話し、城壁の上に立っているあいだも質問に答え続けます。

なぜモンス・メグという名前なの?ハーフムーン砲台の下には何が埋まっている?門の2体の像は誰?

出発前に

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アクセス

Edinburgh Castle, The Esplanade, Edinburgh EH1 2NG。ロイヤル・マイルのいちばん上にあります。キャッスルヒルを上ってエスプラネードへ。ゲートハウスに向かってゆるやかに上る、長さ110メートルの舗装された広場です。最初のスポットはこの屋外で聴き、チケットの確認はその先のポートカリス・ゲートで行われます。

中央駅のウェイヴァリー駅からは歩いてすぐですが、ずっと上り坂です。ヘイマーケット駅はプリンシズ・ストリートの西にあります。マウンドやジョージ4世橋を通る路線バスが近くに停まります。空港からはトラムで約30分でプリンシズ・ストリートへ、急行バス Airlink 100 なら25分でウェイヴァリー・ブリッジへ着きます。城に一般向けの駐車場はなく、最寄りは Castle Terrace の NCP 駐車場です。

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チケットと入場

  • チケットはオンラインで、早めに予約を。城の運営側によると、特に夏はかなり前に売り切れることが多く、オンラインで完売すると当日券もありません。通常のオンラインチケットは入場時刻を指定して販売され、割高なフレキシチケットなら時刻の指定がなく、1週間以内のどの日でも入場できます。オンラインのほうが安く、大人は当日の26.00ポンドに対してオンラインなら23.50ポンドです。偽のチケットを売るそっくりのサイトがあると城は注意を呼びかけているので、購入は edinburghcastle.scot で。
  • 4月1日から9月末までの夏季は午前9時30分から午後6時まで開いていて、最終入場は午後5時です。冬の半年は閉門が午後5時、最終入場が午後4時になり、12月24日は早めに閉まり、1月1日は午前11時に開きます。12月25日と26日は休みで、悪天候のときも閉まることがあります。
  • ワン・オクロック・ガンは、日曜日、聖金曜日、クリスマス当日を除く毎日、アーガイル砲台の突き当たりのレッドコート・カフェの横から撃たれます。音は大きく、いきなり鳴ります。そのため、来場者をクラウン・スクエアまで運ぶ移動補助車両は、午後0時15分から午後1時15分まで運行を止めます。
  • スーツケースと30リットル以上のリュックサックは持ち込めず、荷物預かりもありません。5月から10月まではエスプラネードにタトゥー(ミリタリー・タトゥー)の観客席が組まれますが、最初のスポットはそのときも同じエスプラネードから始まります。
公式チケット →
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公式音声ガイド

Historic Environment Scotland 自身の音声ガイドは4.00ポンドで、シアーシャ・ローナンやビル・パターソンらが声を担当しています。ポートカリス・ゲートを抜けてすぐのオーディオブースで端末を借りるか、チケットと一緒にダウンロード版を買ってスマートフォンで再生します。ダウンロード版の場合、岩山の上は電波が安定しないので、出発前にダウンロードしておくよう城の運営側は勧めています。視覚に障害のある方は無料、Historic Scotland の会員と Explorer Pass の所持者は20%引きです。30分の Official Guided Tour(公式ガイドツアー)は入場料とは別に6.50ポンドかかり、事前予約制で英語のみです。Chiaro の5スポットはブラウザで動く無料の選択肢で、各スポットの再生ボタンの下に全文を載せてあります。話の途中でワン・オクロック・ガンが鳴っても、読んで追いつけます。

公式サイト →

よくある質問

エディンバラ城の無料音声ガイドはありますか?

あります。このページの5スポットは無料で、どのスマートフォンのブラウザでも再生でき、門の外のエスプラネードから頂上のモンス・メグまでを案内します。城自身の音声ガイドは4.00ポンドの有料オプションですが、視覚に障害のある方は無料です。スポットとスポットのあいだで気になったものは、Chiaro アプリで写真を撮れば、その物語を聞かせてくれます。

チケットがなくてもエディンバラ城の音声ガイドは聴けますか?

最初のスポットなら聴けます。門の手前のエスプラネードで聴くもので、そこでは何も確認されません。チケットの確認はポートカリス・ゲートで行われ、残る4つのスポット、アーガイル砲台、グレート・ホール、ハーフムーン砲台、聖マーガレット礼拝堂とモンス・メグは、すべてその内側にあります。通常のチケットで入れて、追加の予約はいりません。

エディンバラ城の公式音声ガイドはいくらですか?

4.00ポンドです。Historic Scotland の会員と Explorer Pass の所持者は20%引き、視覚に障害のある方は無料です。ポートカリス・ゲートを抜けてすぐのブースで端末を借りるか、チケットと一緒にダウンロード版を買えます。30分の Official Guided Tour(公式ガイドツアー)は別で、入場料に加えて1人6.50ポンド、事前予約制で、案内は英語のみです。

エディンバラ城の休館日はいつですか?

12月25日と26日です。また12月24日は早く閉まり、1月1日は遅く開き、悪天候のときは急に閉まることもあるので、天気予報がよくない日は事前に確認するよう城の運営側は勧めています。それ以外の日は午前9時30分に開き、最終入場は閉門の1時間前です。

エディンバラ城のモンス・メグはどこにありますか?

頂上、アッパー・ワード(上郭)の聖マーガレット礼拝堂の外のテラスです。フーグズ・ゲートを上って抜けると左手に礼拝堂があり、その前にモンス・メグが据えられています。このページの5つ目のスポットで、1457年に国王ジェームズ2世に贈られた、重さ約6トンの大砲です。

エディンバラ城の見学にはどのくらい時間が必要ですか?

城は、主な見どころを回るのに少なくとも2時間をみておくよう勧めています。このページの5スポットを聴く時間は合わせて10分ほど。スポット間の歩きのほとんどは、門からクラウン・スクエアまでおよそ350メートル続く石畳の上り坂で、いちばん急なのはフーグズ・ゲートのあたりです。

ほかの音声ガイド

Chiaro 制作。エディンバラ城とは関係ありません。