本文へスキップ

ウィンザー城 · ウィンザー · 独立系ガイド

ウィンザー城の音声ガイド、
5つのスポット、無料。

人が住み続けている城として世界で最も古く、最も大きな城。1070年ごろ、テムズ川を見下ろす白亜の崖の上で築城が始まり、以来40人の君主がここを住まいとしてきました。5つのスポットはこのページで再生でき、それ以外のものは Chiaro のカメラを向けて尋ねてください。

Chiaro 制作。ウィンザー城とは関係ありません。

9:41

キャッスル・ヒルから見るヘンリー8世門

ウィンザー城、ウィンザー

0:00 2:35
スポット 1 / 5

5つのスポット · 音声 12 分

5つの場所、ひとつのルート、
歩く順番のとおりに。

このウィンザー城音声ガイドは、城壁の外のキャッスル・ヒルから始まります。そこから先の5つのスポットは、城が定めた一方通行の順路どおりに進み、ステート・アパートメント(公式諸間)まで上って、礼拝堂の前を通って下りてきます。ガイド役はいりません。1つ目は入場センター(Admission Centre)に着く前、ヘンリー8世門の下で再生してください。2つ目は中郭(Middle Ward)のラウンド・タワーの土塁の下で、すぐ横にノルマン門があります。3つ目はステート・アパートメントの中、ステート・エントランスでロング・ウォークを南へ見通しながら。4つ目は上の階のワーテルローの間。最後は下郭(Lower Ward)の聖ジョージ礼拝堂の前で、出口の少し手前です。通して聴けば約10分。歩きは最初のうち上り坂が中心で、Royal Collection Trust によれば入場センターからステート・アパートメントまで10分、見学全体では1時間半から2時間が目安です。

このページの開館日、料金、順路は、2026年9月27日に Royal Collection Trust の公式サイト rct.uk と来場者用マップから写したものです。歴史の記述はもう一つ別の資料と突き合わせ、一つひとつの主張を、それを支える一文の隣に控えてあります。ウィンザーは現役の王宮なので、国の行事が入れば部屋ごと、ときには城全体が、ほとんど予告なく見学順路から外れます。当日、係員の説明がこのページと違ったら係員が正解です。ひと言知らせていただければ、こちらを直します。

スポット 1 / 5 · 城壁の外の公道キャッスル・ヒル、下郭のいちばん下にあるヘンリー8世門の下。見学者が入る入場センター(Admission Centre)はキャッスル・ヒルをさらに上った先で、Royal Collection Trust のマップではこの門の脇が見学者用の出口になっています

キャッスル・ヒルから見るヘンリー8世門

ヘンリー3世の門楼があった場所に、1511年ごろヘンリー8世のために再建。両脇に続く下郭の城壁と塔は、ヴィクトリア女王のためにアンソニー・サルヴィン(1799–1881)とエドワード・ブロア(1787–1879)が建て直したもの · 下郭の石造城壁と門楼は1224–1230年、現在の門は1511年ごろ、下郭の塔はヴィクトリア朝の再建 · 下郭の城壁に開く石造の門楼で、左右に八角形の塔を従える。背後の城域は13エーカー(5.3ヘクタール)、テムズ川から100フィート(30メートル)の高さにそびえる白亜の崖の上

注目ポイント

  • アーチの上の石彫りのパネル。ヘンリー8世の紋章と、その横に最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンのしるし、グラナダのザクロが並びます。
  • 門の両側に立つ2本の八角形の塔。1511年ごろヘンリーのために建て直されたもので、ヘンリー3世が1224年から1230年にかけて築いた石の城壁の線上にあります。
  • 右手の城壁越しに、城の真ん中の土塁にのったラウンド・タワーの頭。次のスポットです。
書き起こし (2:35)

坂のいちばん下にある門楼を見上げてください。太い八角形の塔が2本、そのあいだに尖ったアーチ。ここからは入りません。入場センターはキャッスル・ヒルをもっと上ったところにあって、この門は帰り道、聖ジョージ礼拝堂を過ぎた見学の最後に出てくる出口です。だから、まだ城壁の外にいる今のうちに、よく眺めておきましょう。

アーチの上、壁の真ん中に石彫りのパネルがあります。あれがヘンリー8世の紋章です。ヘンリーは即位からわずか2年ほどの1511年ごろにこの門を建て直しました。パネルには彼自身の紋章の横に、もう一つのしるしが刻まれています。グラナダのザクロ、最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンの紋です。1522年6月、ヘンリーはキャサリンの甥にあたる皇帝カール5世をここに迎えて狩りと宴でもてなし、ウィンザー条約を結んで送り出しました。フランスに対する共同の戦争と、カールがヘンリーの娘メアリーと結婚するという約束です。条約は1525年に破られました。ザクロは今もあそこにあります。

この門は、ずっと古い線の上に立っています。ヘンリー3世は1224年から1230年にかけて、城のこの低い部分の城壁を石で築き直し、まさにこの場所に門楼を置き、城壁沿いに新しい塔を3つ建てました。それには理由がありました。1216年、城は反乱諸侯とフランスの軍勢にヌヴェール伯の指揮で包囲され、ジョン王の城代アンジュラール・ド・シゴニェがこれを守り抜いたのです。その2年前にも、城はすでに一度包囲されていました。

場所そのものは、さらに古い歴史を持っています。征服王ウィリアムが選んだのは、テムズ川から100フィートの高さにあるこの白亜の崖で、サクソン人の狩猟地の縁でした。築城が始まったのは1070年ごろ。ロンドンを囲む輪のように並んだ城の一つで、どれもシティからも隣の城からも1日の行軍、20マイルほどの距離にあり、この城は西からの道を押さえていました。

ここで意外な話を一つ。この城壁沿いに見えるもののかなりの部分は、見た目より若いのです。ヴィクトリア女王の時代、建築家アンソニー・サルヴィンとエドワード・ブロアが、ガーター塔、カーフュー塔、ソールズベリー塔、そして城壁の内側にある軍人騎士団の住まいを建て直しました。ですから、この中世らしい輪郭の多くは、ヴィクトリア朝の人々が思い描いた中世なのです。

右手の城壁越しに、城の真ん中の土塁にのったラウンド・タワーの頭が見えます。次に向かうのはあそこです。ウィンザーは12世紀の初め、ヘンリー1世の時代から君主に使われてきました。ヨーロッパで最も長く使われ続けている宮殿であり、ロイヤル・コレクション・トラストはここを住まいとした君主を40人と数えています。

スポット 2 / 5 · 中郭(Middle Ward)。セント・ジョージズ・ゲートからモート・ロードをノース・テラスへ向かう見学順路の途中、ラウンド・タワーの土塁の下。ノルマン門は、上郭(Upper Ward)へ向かう途中、塔のすぐ横に立っています

ラウンド・タワーとノルマン門

土塁は征服王ウィリアムのために盛られ、石の天守はヘンリー2世の時代に築かれ、ジョージ4世のためにジェフリー・ワイアットヴィル(1766–1840)がかさ上げ。ノルマン門はエドワード3世のために建てられ、外観はワイアットヴィルが改めたもの · 土塁は1070年ごろから、天守の石造での再建は1170年ごろ、かさ上げは1828–1840年、ノルマン門は14世紀 · 高さ50フィート(15メートル)の白亜の土塁にのる石の天守。19世紀初めに30フィート(9.1メートル)上へ継ぎ足された。ノルマン門は落とし格子と殺人孔を備えたヴォールト天井の門楼

注目ポイント

  • 塔の胴をぐるりと巻く石の帯。ここが元の高さで、そこから上はジョージ4世のかさ上げです。約9メートル、純粋に見栄えのためだけのものでした。
  • 平らになった側面。塔は円形ではなくD字形です。攻城戦で損傷したあと、ヘンリー3世の時代に南側がその形に建て直されました。
  • 土塁そのもの。周りの堀から掘り出した15メートル分の白亜で、1988年に新たな地盤沈下が見つかり、基礎の補強が行われました。
  • 塔の横のノルマン門。アーチの両側に円い塔が立ちます。エドワード3世のための14世紀の建築で、落とし格子と殺人孔を備えていました。
書き起こし (2:19)

もう城の中です。いま歩いているのは土塁のふもとを回り込む道で、その上の塔は、この城でいちばん古い発想です。最初にできたのは土塁でした。15メートル分の白亜を周りの堀から掘り出して積み上げたもので、征服王ウィリアムの職人たちはその頂に木造の天守をのせました。

天守はじっとしていませんでした。12世紀の初め、土塁の南側が2メートル以上もずり落ちたのです。支えるために木の杭が打ち込まれ、木造の天守は石造に替えられました。ヘンリー2世がそれをさらに建て直し、ロイヤル・コレクション・トラストは、いま見ているラウンド・タワーを1170年のものとしています。地盤は今も完全には落ち着いていません。1988年には塔を脅かすほどの新たな沈下が見つかり、土塁の基礎を補強しなければなりませんでした。

では、形を見てください。名前が間違っているからです。ラウンド・タワー、つまり「円い塔」は、円くありません。13世紀の初めの攻城戦で南側がひどく傷み、ヘンリー3世の時代にD字形に修復されました。そのほうが頑丈だったのです。

次に、一本の線を探してください。塔の胴をぐるりと巻く石の帯があり、そこが以前の塔のてっぺんでした。そこから上はすべてジョージ4世のものです。建築家ジェフリー・ワイアットヴィルが塔を30フィート、約9メートル高くして、城の高さと輪郭をもっと堂々と見せようとしたのです。ロイヤル・コレクション・トラストは、ただ立派に見せるためだけの工事だったとはっきり書いています。狙いは当たりましたが、誰もが許しているわけではありません。考古学者ティム・タットン=ブラウンは、この新しい高さを中世の塔の「切断」と呼びました。継ぎ足した部分は150年ほど空洞のままでした。1991年から1993年にかけて、ようやくその空間に部屋がつくられ、王室文書館の場所が広がりました。

塔の中ごろの時代から、細かな話を2つ。1354年、エドワード3世のために、おもりで動く機械式時計としてはイングランド最古のものがこの塔に据えつけられました。そしてエドワードは、隣で新しい宮殿を建てているあいだ、この塔の上の仮住まいで暮らしていました。

先へ進む前に、塔の横、上郭へ向かう途中にあるノルマン門を見つけてください。円い塔が2本、そのあいだにアーチ。この名前も間違いです。これはエドワード3世の14世紀の建築で、宮殿を建て直した事業の一部です。そして守るためにつくられていました。下ろせば門をふさげる落とし格子と、頭上の殺人孔。その穴から衛兵が、下にいる者へ熱湯や焼けた砂を浴びせることができたのです。1558年からは城代兼総督の住まいになっています。君主が不在のあいだ、君主の代わりを務める役職です。

スポット 3 / 5 · 上郭(Upper Ward)、ステート・アパートメントの地上階。ノース・テラス側の入口からインナー・ホールを抜けて下ると、中庭側のステート・エントランスに出ます。南を向いて

ステート・エントランスと、ロング・ウォークの眺め

ジョージ4世のためにジェフリー・ワイアットヴィル(1766–1840)が玄関ホールをステート・エントランスまで延ばし、1866年にヴィクトリア女王のためアンソニー・サルヴィン(1799–1881)が閉ざし、Royal Collection Trust が再び開いたもの。ロング・ウォークはチャールズ2世のために造られた · インナー・ホールとステート・エントランスは1820年代、1866年に閉鎖、2020年に再開。ロング・ウォークは1680年代から植樹、1945年以降に植え替え · 中庭(クアドラングル)を南へ、ジョージ4世門をくぐってロング・ウォークを見通す眺め。長さ2.65マイル(4.26キロ)、幅240フィート(73メートル)の二重の並木道

注目ポイント

  • 正面、中庭の向こう南に延びるロング・ウォーク。両側に2列ずつの並木が、城からスノー・ヒルまで2.65マイル続きます。チャールズ2世のために造られた道です。
  • 同じ線上、向こう側の建物に開く門。ジョージ4世にちなむ名で、1824年8月12日、王はここで自らの改築の礎石を据えました。
  • 頭上、インナー・ホールの天井にある、フランシス・ベルナスコーニの漆喰の飾り(ボス)。2020年にホールが再び開かれたとき、何層もの塗装の下から見つかりました。
書き起こし (2:09)

ノース・テラスから入り、インナー・ホールを抜けてステート・エントランスまで来ました。順路があなたをここへ連れてくる理由は、真正面にあります。南を見てください。中庭を越え、向こう側の建物の門をくぐり、さらにその先へ。遠くへ遠くへと延びていく木の列、あれがロング・ウォークです。

長さ2.65マイル、幅240フィート。城からスノー・ヒルまで続く二重の並木道です。王政復古のあと、チャールズ2世が道を開き、植樹は1680年代、オラニエ公ウィリアムの時代にニレの二重の列で仕上がりました。ニレは第二次世界大戦まで持ちましたが、ニレ立枯病のため1945年以降に大規模な植え替えが行われ、トチノキとプラタナスが交互に植えられました。いちばん奥のスノー・ヒルには、「コッパー・ホース(銅の馬)」と呼ばれるジョージ3世の像が立っています。1829年に据えられたもので、台座を設計したのはジェフリー・ワイアットヴィル。門をくぐってからここまでに見てきたもののほとんどを手がけた建築家です。スノー・ヒルは、ヘンリー8世がアン・ブーリン処刑の知らせを待った場所だとも言われています。

この扉は、各国の元首や君主の公式の客人が使う入口で、見学者がここを通るようになったのは2020年からです。ジョージ4世とワイアットヴィルは、ノース・テラスからこの扉まで、建物の奥行きいっぱいに延びる玄関ホールをつくり、地上階をまっすぐ見通せるようにしたいと考えました。そのためにジョージ3世の大階段を取り壊したほどです。ジョージ4世は1824年8月12日、改築全体の礎石を自ら据えました。場所はのちにジョージ4世門となったところ、中庭の向こう、いま見ている視線の線上です。

ヴィクトリア女王はこのホールを30年近く使いました。ところが1866年、建築家アンソニー・サルヴィンに命じてホールを閉じ、東西に走る小さな玄関ホールを新たにつくらせます。後ろのインナー・ホールは物置になりました。そのまま閉ざされ、1965年からは一部が展示スペースになり、2020年に開放工事が終わって、ようやくジョージ4世が意図したとおりの姿に戻ったのです。

先へ進む前に、振り返って上を見てください。修復チームがインナー・ホールの天井から何層もの塗装をはがしたとき、フランシス・ベルナスコーニが型を取った飾りが現れました。摂政時代にいちばんもてはやされた漆喰職人です。周りの壁は、そのどれよりも古いものです。城のこの部分は14世紀半ばのエドワード3世にさかのぼり、同じ地上階にある彼のグレート・アンダークロフト、つまり大地下広間は今も残っています。長さ59メートル、13の柱間があります。

スポット 4 / 5 · ステート・アパートメントの2階。大階段を上がったあと、グランド・ヴェスティビュールからワーテルローの間へ続く順路の途中

ワーテルローの間

ジョージ4世のためにジェフリー・ワイアットヴィル(1766–1840)が設計。対ナポレオン同盟の指導者たちの肖像はサー・トーマス・ローレンス(1769–1830)の筆で、のちにサー・デイヴィッド・ウィルキーらの作品が加わった · 部屋は1830–1831年、ローレンスの肖像画は1814年から1820年代にかけて制作 · 天窓から光が差し込み、彫刻を施した羽目板と肖像画が壁を埋める広間。最大の一枚、ローレンスによるウェリントン公爵の全身像は317.1 × 225.65 cm

注目ポイント

  • ナポレオンを破った同盟国の指導者たちを描いた、サー・トーマス・ローレンスの肖像画。ジョージ4世がそのために建てた部屋に、今も一緒に掛かっています。
  • いちばん大きなカンヴァスに描かれたウェリントン公爵。317.1 × 225.65センチあります。
  • 肖像画の下の彫刻入りの羽目板と、部屋を上から照らす細長い天窓。
書き起こし (2:37)

大階段を上り、グランド・ヴェスティビュールを抜けると、部屋がぱっと開けます。細長く、天井が高く、光は上から降り、壁は顔で埋め尽くされています。ここがワーテルローの間。1830年と1831年に、たった一つのこと、ナポレオンの敗北を祝うために造られました。

ジョージ4世は、部屋より先に肖像画のシリーズを構想していました。ナポレオンを倒すために手を結んだ主要人物を一人残らず描くよう、サー・トーマス・ローレンスに依頼したのです。ところがナポレオンがエルバ島を脱出し、計画はまるごと保留になりました。1818年9月、ローレンスはようやく大陸へ渡ります。まずアーヘン、次にウィーン、そして1819年5月にはローマへ向かい、教皇ピウス7世とコンサルヴィ枢機卿を描きました。壁に沿って見ていくと、その旅がそのまま並んでいます。ロシア皇帝アレクサンドル1世、オーストリア皇帝フランツ1世、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世、シュヴァルツェンベルク公、教皇、フランス王シャルル10世。そして誰よりも大きく、ウェリントン公爵。高さ3メートルを超えるカンヴァスです。ローレンスは、それらがここに掛かるのを見ていません。1830年1月7日に急死し、ジェフリー・ワイアットヴィルが肖像画を囲むように部屋を仕上げました。

この部屋は、もっと奇妙な夜も過ごしてきました。1940年、ローレンスの絵は空襲から守るため額から外され、代わりに、疎開してきた10代の美術学生クロード・ワタムが壁紙に描いたパントマイム劇の絵が掛けられました。エリザベス王女とマーガレット王女が、戦時中のパントマイム劇の背景を欲しがったのです。1943年の『アラジン』の客席には、英国海軍から休暇で戻っていた、のちのフィリップ王子の姿がありました。恋が本格的に芽生えたのはこのときだった、と友人たちはあとで語っています。2004年には、英仏協商100周年を記念してジャック・シラク大統領を迎えた国の催しで『レ・ミゼラブル』を上演するため、肖像画がまた下ろされました。新聞はその皮肉を見逃さず、その一夜だけ、部屋は「音楽の間」と改名されました。

今も使われている部屋です。見学の主要な順路の一部であると同時に、叙勲式、つまり一般の人々が勲章や栄典を受ける儀式が行われる場所でもあります。

この先、順路は城の焼けた区画を通ります。1992年11月20日、ヴィクトリア女王の私的礼拝堂で、故障したスポットライトがカーテンに火をつけました。火は聖ジョージ・ホールに燃え広がって15時間燃え続け、115の部屋を焼きました。そのうち9つはステート・ルームです。失われた美術品はわずか2点。ローズウッドのサイドボードと、間に合うように下ろせなかった、サー・ウィリアム・ビーチーのとても大きな絵1枚です。これから通るランタン・ロビーは、その礼拝堂があった場所に立っています。

スポット 5 / 5 · 下郭(Lower Ward)の北側。上郭から下りてくる順路の途中、礼拝堂の南面の前にある芝生と小道から眺めます。出口は下郭のいちばん下、ヘンリー8世門の脇です

下郭から見る聖ジョージ礼拝堂

エドワード4世のために、ソールズベリー司教リチャード・ビーチャムと石工棟梁ヘンリー・ジャニンズの指揮で着工。ヘンリー7世のためにサー・レジナルド・ブレイのもとで工事が続き、ヘンリー8世の治世に完成。1920–1930年にサー・ハロルド・ブラクスピアのもとで修復され、そのとき「王の獣たち」が彫り直された · 1475–1528年、身廊のヴォールトは1503–1506年、尖塔の上の「王の獣たち」は1925年 · 垂直様式のゴシックの石造礼拝堂で、尖塔の上に紋章の獣76体をのせる。東端にはヘンリー3世の聖母礼拝堂(長さ70フィート、21メートル)があり、今はアルバート記念礼拝堂

注目ポイント

  • 尖塔の上の「王の獣たち」。14種類、全部で76体。クリストファー・レンが1682年に取り外させた元の像に代わり、1925年に彫られました。
  • 控え壁のあいだに並ぶ大きな窓。南面に沿って柱間ごとに続きます。礼拝堂は1475年から1528年にかけて建てられました。
  • 右手の東端、ヘンリー3世の聖母礼拝堂。1863年から1873年にかけてアルバート記念礼拝堂に改められました。
  • 左手、下郭の西端にある、れんがと木組みの弧を描くホースシュー回廊。1480年に礼拝堂の聖職者のために建てられました。
書き起こし (2:30)

礼拝堂の南側の前、小道の上に立って、まずは屋根の線に目を走らせてください。尖塔の上に生き物がのっています。ライオン、赤いドラゴン、パンサー、ユニコーン、ハヤブサ、それにエールという角のある獣。全部で76体、紋章の動物が14種類です。見た目より若い像です。元の像はやわらかいライゲート石で彫られていて、1682年、クリストファー・レンが取り外すよう勧めました。それから優に200年以上、尖塔には何もありませんでした。1920年にサー・ハロルド・ブラクスピアのもとで10年がかりの修復が始まり、1925年に新しい像が据えられたのです。彫り手の一人は、イギリスとコンゴにルーツを持つ彫刻家マホメット・トーマス・フィリップスで、1923年にハヤブサとユニコーンを彫りました。

その下の建物は本物です。エドワード4世が1475年に着工し、場所を空けるために古い建物を取り壊しました。一つには、自分の新しい王朝がこれからも続くと示すため、そしておそらく、ヘンリー6世が川向こうのイートンに建てさせた礼拝堂をしのぐためでした。工事を指揮したのは、ソールズベリー司教リチャード・ビーチャムと、ヘンリー・ジャニンズという石工棟梁です。工事はヘンリー7世の時代にも続き、身廊の上の石のヴォールトは1503年から1506年のあいだに架けられ、ヘンリー8世の治世の1528年に完成しました。控え壁のあいだに柱間ごとに並ぶ大きな窓は、垂直様式のゴシックが力を出し切った姿です。

ここはエドワード3世が1348年に創設したガーター騎士団の礼拝堂で、聖歌隊席ではおよそ800枚のエナメル仕上げの真鍮板が、6世紀にわたる団員の名を伝えています。王家の墓所でもあります。ここには11人の君主が眠り、その中にはヘンリー8世、チャールズ1世、ジョージ6世、エリザベス2世女王がいます。チャールズ1世の遺体は、1649年1月の処刑のあと吹雪の中をウィンザーへ運ばれ、儀式もなく地下納骨室に納められました。ヘンリー8世は、計画していた墓をついに手にできませんでした。墓のブロンズは内戦のさなかにはがされて売られ、大理石の石棺は、セント・ポール大聖堂にあるネルソン提督の記念碑の一部になりました。

右手、東端を見てください。あれがヘンリー3世の聖母礼拝堂で、1863年から1873年にかけてアルバート記念礼拝堂に改められました。そして主祭壇の後ろには、城を今の姿にした人物が眠っています。ジェフリー・ワイアットヴィルは、16年にわたってウィンザーを造り変えたのち、1840年2月にここへ葬られました。

準備ができたら、出口は下郭のいちばん下、キャッスル・ヒルから見上げたあのヘンリー8世門の脇です。キャサリン・オブ・アラゴンのザクロの下をくぐって、城をあとにします。

独立系ガイド · Chiaro

ウィンザー城のどんなものにも、Chiaro を向けてください。

5つのスポットでは、千年の城のほとんどが語られずに残ります。グランド・ヴェスティビュールの甲冑、アントニオ・ヴェリオが描いた天井画、ヴァン・ダイクの一枚、メアリー王妃のドールハウスの一室。Chiaro で写真を撮れば、誰がつくり、誰がお金を出し、その後どうなったのかが聞けます。ノース・テラスから出口の門まで、続けて何を尋ねてもかまいません。

ラウンド・タワーはなぜ円くないの?壁に並ぶこの男性たちは誰?礼拝堂の屋根の動物は何?

出発前に

01

アクセス

Windsor Castle, High Street, Windsor, Berkshire SL4 1NJ。見学者はキャッスル・ヒルの入場センター(Admission Centre)から入り、空港と同じような手荷物検査を受けます。出口は下郭のいちばん下、ヘンリー8世門の脇です。城に見学者用の駐車場はなく、Royal Collection Trust は車で来る人に町の中心部の公営駐車場を案内しています。

グレート・ウェスタン鉄道のスラウからの支線の終点、ウィンザー・アンド・イートン・セントラル駅(Windsor & Eton Central)は、テムズ・ストリートにあり、キャッスル・ヒルのほぼ向かいです。400メートル離れたウィンザー・アンド・イートン・リバーサイド駅(Windsor & Eton Riverside)は、サウス・ウェスタン鉄道のロンドン・ウォータールー発、ステインズ経由の路線の終点で、城までは急な上り坂です。Royal Collection Trust によれば、どちらの駅からも徒歩10分以内。ウィンザー・エクスプレスのバスが町の中心部まで走っており、702番はロンドンのヴィクトリア駅近くから、703番はヒースロー空港第5ターミナルから出ています。

02

チケットと入場

  • 城は毎週火曜と水曜が休みで、木曜から月曜まで開いています。2026年は12月22日(火)と12月29日(火)も開きます。Royal Collection Trust は2026年10月19日(月)と、12月24日(木)から26日(土)までの終日休館を発表しており、ステート・アパートメントは国の行事で急に閉まることもあります。出かける前に rct.uk の休館一覧を見てください。
  • 開門は一年を通じて10:00。3月1日から10月31日までは最終入場16:00、閉門17:15。11月1日から2月28日までは最終入場15:00、閉門16:15です。ステート・アパートメントの入口は最終入場の30分後に閉まるので、門を入ってからの10分の上り坂の時間を見ておきましょう。
  • 2026年の大人の通常チケットは、事前予約で32.00ポンド、当日は36.00ポンド。18〜24歳は21.00ポンドまたは24.00ポンド、5〜17歳は16.00ポンドまたは18.00ポンドで、5歳未満は無料です。このページのスポットはすべてこのチケットで回れ、無料で再入場できる1年パス(1-Year Pass)に切り替えることもできます。ラウンド・タワーに登るツアーとグレート・キッチンは、一年のうち一部の期間だけ売られる別料金の、より高いツアーチケットです。
  • 聖ジョージ礼拝堂の見学は月曜、木曜、金曜、土曜で、最終入場は16:00。日曜は礼拝のみです。このページの最後のスポットは礼拝堂の外で再生するので、城が開いている日ならいつでも使えます。ステート・アパートメントと礼拝堂の中では写真も動画も撮れないのでカメラはしまっておき、外の敷地では遠慮なくどうぞ。撮影はむしろ歓迎されています。
03

公式音声ガイド

城の公式ガイドは無料です。Royal Collection Trust は見学の始めにマルチメディアガイドを貸し出しており、国王の案内で始まるこのガイドは、城の敷地、ステート・アパートメント、聖ジョージ礼拝堂をカバーします。言語は英語、ブラジル・ポルトガル語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、日本語、中国語(標準語)、ロシア語、スペイン語で、字幕付きのイギリス手話の動画版もあります。7歳から11歳向けの子ども版、目の見えない方や見えにくい方のための音声解説ツアーもあり、自分の有線ヘッドホンをつないで聞くこともできます。私たちの5つのスポットはそれと並んで使えるもので、1つ目は端末が配られる前のキャッスル・ヒルで再生でき、どの原稿もプレーヤーの下に全文を載せています。

公式サイト →

よくある質問

ウィンザー城の無料の音声ガイドはありますか?

はい、一つではありません。Royal Collection Trust のマルチメディアガイドは無料で、見学の始めに渡され、9言語の音声とイギリス手話に対応しています。私たちのガイドも無料です。5つのスポットはどのスマートフォンのブラウザでもストリーミングで聴け、キャッスル・ヒルの屋外から始まります。順路の途中でほかに知りたいものがあれば、肖像画でも礼拝堂の屋根の獣でも、写真を撮れば Chiaro が説明します。

チケットがなくてもウィンザー城の音声ガイドは聴けますか?

1つ目のスポットなら聴けます。ヘンリー8世門の下の公道、キャッスル・ヒルで、入場センターに着く前に再生するものだからです。残りの4つ、ラウンド・タワーとノルマン門、ステート・エントランス、ワーテルローの間、聖ジョージ礼拝堂は城の中にあり、どれも通常の入場チケットで回れます。追加の予約はいりません。

ウィンザー城の公式音声ガイドはいくらですか?

無料です。マルチメディアガイドは入場料に含まれ、見学の始めに端末を受け取ります。国王の案内で始まり、城の敷地、ステート・アパートメント、礼拝堂を順に解説します。7歳から11歳向けの子ども版があり、目の見えない方や見えにくい方は音声解説ツアーを頼むこともできます。

ウィンザー城は火曜日に開いていますか?

いいえ。城は毎週火曜と水曜は見学者を受け入れず、木曜から月曜まで開いています。2026年は例外が2日あり、12月22日(火)と12月29日(火)は開きます。発表済みの休館日もあり、2026年10月19日(月)と12月24日から26日がそうです。聖ジョージ礼拝堂の見学は週4日、月曜、木曜、金曜、土曜だけです。

キャッスル・ヒルのどちらの端から歩き始めればいいですか?

下の端です。下郭のいちばん下にあるヘンリー8世門の下の歩道から始めます。入場は坂をもう少し上った入場センターで、そこからラウンド・タワーの横を上ってノース・テラスとステート・アパートメントへ、それから聖ジョージ礼拝堂へ下りてきて、最初に見たあの門から出ます。順路は最初から最後まで一方通行です。

ウィンザー城の見学にはどれくらい時間がかかりますか?

Royal Collection Trust の目安は1時間半から2時間です。入場センターからステート・アパートメントまで歩くだけで約10分、ほとんどが上り坂で、ここの5つのスポットを聴くのに10分ほど加わります。

ほかの音声ガイド

Chiaro 制作。ウィンザー城とは関係ありません。