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セント・ポール大聖堂 · ロンドン · 独立系ガイド

セント・ポール大聖堂の音声ガイド、
5つのスポット、無料。

レンのドームは十字架まで111メートル(365フィート)、頂の石が据えられたのは1708年です。歩道から地下聖堂までの5つの物語はここでそのまま聞けます。500を超える記念碑のどれでも、写真を撮って Chiaro に尋ねれば、誰のためのものかがわかります。

Chiaro 制作。セント・ポール大聖堂とは関係ありません。

9:41

ラドゲート・ヒルの上から見る西正面

セント・ポール大聖堂、ロンドン

0:00 2:32
スポット 1 / 5

5つのスポット · 音声 13 分

5つの場所、ひとつのルート、
歩く順番のとおりに。

このセント・ポール大聖堂の音声ガイドは無料のセルフガイドで、始まりはラドゲート・ヒルの坂を上りきった歩道です。アン女王を背に西正面と向き合うこの最初のスポットでは、チケットはまったく要りません。中に入ったら身廊を東へ進み、北側のアーチに収まるウェリントン記念碑へ。さらに交差部まで行って、ドームの下に立ち、見上げます。南袖廊から376段の階段を上ると、ドームの外側をぐるりと囲む石のバルコニーに出て、川を見渡せます。下りてきたら地下聖堂へ。見上げていた場所の真下にネルソンの墓があり、大聖堂自身の案内図でも見学はそこで締めくくられます。アン女王からネルソンまで、音声はおよそ10分。平らな道を歩くのは200メートルに満たず、時間をとるのはもっぱら階段です。

大聖堂自身のサイト stpauls.co.uk とバリアフリー案内図は2026年9月26日に読み、年代、名前、寸法の一つひとつを、それとは無関係の別の資料と突き合わせました。どの事実にも、根拠となった一文を添えて控えてあります。この建物では礼拝がいつも優先され、見学ルートもそれに合わせて曲がります。当日、堂守(ヴァージャー)や掲示がこのページと違うことを告げていたら、そちらに従ってください。

スポット 1 / 5 · ラドゲート・ヒルを上りきった前庭。西入口の外、アン女王像のそば

ラドゲート・ヒルの上から見る西正面

クリストファー・レン(1632–1723)。破風と彫像は彫刻家フランシス・バード(1667–1731) · 1675–1711年。バードの破風の浮彫は1706年、使徒像は1721年、南西塔の時計は1709年 · ポートランド石灰岩。バードの破風の浮彫は長さ64フィート、高さ17フィート

注目ポイント

  • 2段に重なった対の円柱。下の段は正面の幅いっぱいに、上の段は真ん中だけに並びます。側廊がどこで終わり、より高い身廊がどこまで続くのかを、レンは外から見せているのです。
  • それぞれの塔の土台にある円い開口。右側、南の塔の開口には時計が収まり、左側は空いたままです。
  • 破風の中の、騎馬の人物までひしめく浮彫。フランシス・バードの『聖パウロの回心』で、1706年に彫られ、長さは64フィートあります。
  • 背後の台座に立つアン女王。教会に背を向けて、ラドゲート・ヒルを見下ろしています。これは1886年の複製で、バードの原作ではありません。
書き起こし (2:32)

階段の下に立ち、アン女王を背にして、正面を見上げてください。2段に重なった、対の円柱。その幅を比べてみましょう。下の段は建物の幅いっぱいに続き、上の段は真ん中しか覆っていません。これはクリストファー・レンが、壁の向こうに何があるかを教えてくれているのです。幅の広い下の段は、身廊とその両側の側廊の正面。幅の狭い上の段は身廊だけの正面で、身廊は側廊より高くそびえています。

目の前にあるものは、すべて建て直されたものです。そこには皮肉な話があります。レンは1661年から、この丘に建っていた中世の大聖堂の修理について助言していました。そして1666年5月、古い設計の、彼の言う「ゴシックの粗野さ」に代えて、古典様式で建て直すことを提案します。その年の9月、ロンドン大火が建物を焼き尽くし、議論はそれで決着しました。レンが正式にこの仕事を任されたのは1669年7月30日、最初の石が据えられたのは1675年6月です。何日だったのかは、はっきりしません。当時の3つの記録が、21日、25日、28日と、それぞれ違う日を挙げているのです。

費用は石炭にかけた税でまかなわれ、しかも設計者が生きているうちに完成しました。大聖堂では、まずありえないことです。1708年10月26日、ランタンの最後の石を据えるのを手伝ったのは、レン自身の息子でした。

破風の三角形の中を見上げてください。騎馬の人物がひしめくあの浮彫は『聖パウロの回心』。ダマスカスへの道での、あの瞬間です。1706年にフランシス・バードが彫ったもので、長さは64フィートあります。

次は塔です。どちらの塔も四角い土台から立ち上がり、その土台に大きな円い開口があります。右側、南の塔では、そこに時計が収まっています。左側は、ただ空いているだけです。どちらの塔の頂にも、金色のパイナップルが載っています。

中には、大火をそのままの姿で生き延びたものが一つだけあります。古い大聖堂から完全な形で残った唯一の記念碑は、詩人で首席司祭だったジョン・ダンのものです。ダンは自分の記念像のために、経帷子に身を包んでポーズをとりました。

では、振り返ってください。アン女王は教会に背を向け、ラドゲート・ヒルを見下ろしています。これは1886年の複製です。1712年のバードによる原作は3度も襲われ、ひどく風化して、最後はヘイスティングズ近くの庭に落ち着きました。複製を任された彫刻家リチャード・ベルトは、仕上げる前に詐欺の罪で投獄され、別の人が完成させました。女王の立ち位置をからかった戯れ歌もあり、像そのものに落書きされたとも言われます。「ブランデー好きのナン、置いてけぼりのナン、顔はジン酒場に、背中は教会に」。

スポット 2 / 5 · 大聖堂フロア、身廊と北側廊のあいだのアーチ

身廊の北側、ウェリントン記念碑

アルフレッド・スティーヴンズ(1817–1875)。頂上の騎馬像はジョン・トゥイード(1869–1933) · 1856年から設計。騎馬像が除幕された1912年に完成 · 大理石の天蓋とブロンズ像。高さ28メートル(91フィート)のレンの身廊の、アーチの一つに収まる

注目ポイント

  • いちばん上の騎手。愛馬コペンハーゲンにまたがるウェリントンで、最後に届いた部分です。葬儀から60年後の1912年でした。
  • 大理石の天蓋の下、石棺の上に横たわる暗い色のブロンズ像。公爵の横臥像です。
  • 天蓋の両端のブロンズ群像。「真実」が「虚偽」の口から舌を引き抜く像と、「勇気」が「臆病」を足で踏みつける像です。
書き起こし (2:21)

身廊の西の端から、ドームのほうへ東に少し歩き、左側、北側にある大きなアーチの前で止まって、そこを埋めているものを見てください。この建物でいちばん大きな記念碑で、ここに収まるまでに60年かかりました。

ワーテルローの勝者、ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーは1852年に亡くなりました。11月18日の葬列には、推定150万人が通りに繰り出しました。霊柩車は、ワーテルローで奪った大砲から取った10トンを超えるブロンズで鋳造されていましたが、大聖堂に着いたところで仕掛けが動かなくなり、棺を中に運び入れるのに1時間以上かかりました。堂内では最大1万5000人が待っていて、窓はすべて暗く覆われていました。

記念碑は設計競技にかけられ、彫刻家アルフレッド・スティーヴンズが1856年に応募しました。彼が受け入れた報酬は、ふたを開けてみればまるで足りない額で、スティーヴンズは仕事人生の大半をこの依頼に費やし、据えつけられるのを見ないまま1875年に亡くなります。長いあいだ記念碑は、脇の聖ミカエル・聖ジョージ礼拝堂に押し込まれていて、ブロンズ像をきちんと見られる人はいませんでした。もともと設計されていた場所、このアーチに移されたのは、後になってからです。

まず、大理石の天蓋の下を見てください。石棺の上に横たわる暗い像は、公爵のブロンズの横臥像です。それから天蓋の両端のブロンズ群像を。「真実」が「虚偽」の口から舌を引き抜き、「勇気」が「臆病」を足で踏みつけています。スティーヴンズに、控えめという文字はありません。

そして頂上です。愛馬コペンハーゲンにまたがるウェリントン。騎馬像は最初から計画にありましたが、教会の中に馬を置くことに反対する声が上がり、王立英国建築家協会の会長は、構造がその重さに耐えられないと言い切りました。騎馬像は別の彫刻家ジョン・トゥイードが仕上げ、1912年に除幕されました。

ここに立ったついでに、身廊を端まで見渡してください。浅い皿のようなドームが連なる天井の下、高さは28メートル。レンはこの内部に、記念碑を置く場所をまったく設けませんでした。完成してから1世紀近く、記念碑は一つもなかったのです。最初の3つは、監獄改革者のジョン・ハワード、サミュエル・ジョンソン、そして画家のジョシュア・レノルズでした。やがて議会が関心を持ち、国費による記念碑が33も続きます。今では500を超えています。

ウェリントン本人は、ここにはいません。地下聖堂の、ドームの中心の真下に、ネルソンと並んで眠っています。この散策の終点も、そこです。

スポット 3 / 5 · 大聖堂フロア、ドームの下の交差部。ドームの祭壇のそば

ドームの下に立って、見上げる

クリストファー・レン(1632–1723)。天井画はジェームズ・ソーンヒル(1675年または1676年–1734) · ドームの完成は1708年。ソーンヒルの天井画は1716–1719年 · 8本の大柱に載る内側のドーム。天井画はグリザイユ。ささやきの回廊は床から30メートル(99フィート)の高さにあり、直径は34メートル(112フィート)

注目ポイント

  • アーチの上のコーニスに沿った細い手すり。あれがささやきの回廊で、高さは30メートル。そこにもたれている小さな点は見学者です。
  • ドームに描かれた聖パウロの生涯の8つの場面。ジェームズ・ソーンヒルがグリザイユ、つまりフルカラーではなく一つの色の濃淡で描いたものです。
  • いちばん上の小さな明るい穴、オクルス。そこから見えているのは、この上にあるもう一つの構造、レンガの円錐の内側に描かれた絵です。
  • アーチとアーチのあいだ、ドラムのすぐ下の湾曲した三角形にあるモザイク。4人の預言者は、ウェリントン記念碑の彫刻家アルフレッド・スティーヴンズの図案によるものです。
書き起こし (3:12)

身廊と袖廊が出会う真ん中まで進み、ドームの下の祭壇のそばに立って、真上を見上げてください。ゆっくりどうぞ。この建物は丸ごと、この眺めのために造られたのです。

アーチのはるか上をめぐる手すりの輪が、ささやきの回廊です。床から30メートル、差し渡し34メートル。そこにもたれている小さな点は、257段を上ってきた人たちです。あそこで壁に向かってささやくと、円のどこにいても、壁に耳を当てた人にその声が届きます。この現象が初めて解き明かされたのも、ここでした。1878年ごろ、レイリー卿が、音は曲面の壁に張りつくようにして伝わるのだと突き止めたのです。物理学者は今でも、これを「ささやきの回廊波」と呼んでいます。あそこで手をたたくと、こだまが4回返ってきます。

回廊の上には、窓と、壁龕に立つ彫像が並ぶドラムがそびえ、その上に絵の描かれたドームがあります。聖パウロの生涯の8つの場面は、ジェームズ・ソーンヒルが1716年から1719年にかけて描いたもので、フルカラーではないことに気づいてください。グリザイユ、つまり一つの色の濃淡だけで描かれています。ソーンヒルがこの仕事を勝ち取ったとき、カンタベリー大主教は、自分は絵の良し悪しはわからないが、画家はプロテスタントでイングランド人でなければならない、と言ったと伝えられています。

さて、本当の驚きはここからです。ここから見えているのは、通りから見たあのドームではありません。レンはドームを3つ造りました。この内側のドーム。その上に、石のランタンを支えるレンガの円錐。そして両方を覆い、円錐をすっかり隠してしまう、木と鉛の外側のドームです。いちばん上の小さな明るい穴を見てください。あれはオクルスで、ローマのパンテオンから借りた形です。そこから見えているのは、レンガの円錐の内側に描かれた絵なのです。

下のほう、アーチのあいだの湾曲した三角形にある色鮮やかなモザイクは、ヴィクトリア朝のものです。4人の預言者は、さっき見たウェリントン記念碑の作者、アルフレッド・スティーヴンズの図案によります。本人が亡くなるまでに仕上げたのはイザヤだけで、残りは別の画家が彼の図案をもとに完成させました。

たいていのドームは4本の大柱の上に立っています。レンは重さを分散させるため、このドームを8本の上に載せました。それでも、ドームは動きました。1913年と1914年に測量士が大柱の沈下を見つけ、1924年のクリスマス・イブにはシティが危険建造物通知を出します。1925年からは技術者たちが大柱にコンクリートと250本を超える鋼の棒を差し込み、ドームのまわりに鋼の鎖を巻きつけました。そして戦争が来ます。1940年9月、大聖堂に落ちた時限爆弾を王立工兵が処理しました。後で安全な場所で爆発させると、30メートルの穴があきました。1941年4月には、北袖廊に落ちた爆弾で、ドーム全体がわずかに横にずれました。

最後にもう一つ、足もとのことを。1806年のネルソンの葬儀のクライマックスで、棺はこの交差部に運ばれ、隠された仕掛けで床を抜けて地下聖堂へと下ろされました。旗艦ヴィクトリーの水兵たちは、艦の旗をそのあとに投げ入れることになっていました。ところが彼らは旗を引き裂き、形見として持ち帰ったのです。

スポット 5 / 5 · 地下聖堂のネルソン・チェンバー。ドームの中心の真下で、隣にウェリントンの墓がある

ドームの真下、地下聖堂のネルソンの墓

ベネデット・ダ・ロヴェッツァーノ(1474–1552年ごろ)が1524年からトマス・ウルジー枢機卿のために制作。未完に終わったヘンリー8世の墓に転用され、のちにレンの地下聖堂でネルソンの墓の上に据えられた · 石棺は1524年に着手。ネルソンの埋葬は1806年1月9日 · 黒大理石の石棺。ドームの中心の真下にあるネルソン・チェンバーに置かれ、大聖堂フロアから37〜38段下

注目ポイント

  • 黒い石棺そのもの。ネルソンより3世紀近く前に、失脚した枢機卿のために作られたものです。
  • 墓のまわりのモザイクの床。19世紀に、ウォーキング監獄の女性囚人たちが敷きました。
  • 墓の足もとの床にはめ込まれたラテン語の一行。「Palmam qui meruit ferat」、勝ち取った者にこそ勝利の棕櫚を。ネルソンのモットーです。
  • 地下聖堂を出る前に、レン自身の簡素な墓と、その上で「周りを見よ」と告げる墓碑銘を。
書き起こし (2:41)

階段を下りて地下聖堂に入り、ドームの中心の真下、さっき見上げていた場所のちょうど下にある円い部屋を探してください。柱のあいだの黒い墓と向き合います。

これがホレーショ・ネルソンです。1805年10月21日、トラファルガーで撃たれて海の上で息を引き取り、遺体は艦でいちばん大きな水樽にブランデーを満たして本国へ運ばれました。軍医が海軍のラム酒ではなくブランデーを選んだのは、そのほうが強かったからです。中の棺は、ネルソンが打ち破ったフランス艦の木材で作られていました。グリニッジに正装安置されたあと、1806年1月9日にここに葬られました。

本人は、こうなるとは思っていませんでした。1797年のサン・ビセンテ岬の海戦で、「ウェストミンスター寺院か、栄光の勝利か」と叫んだことはよく知られています。けれども彼が亡くなるころには、ウェストミンスター寺院はもういっぱいでした。

この石棺はお下がり、それもとびきり豪華なお下がりです。黒大理石の石棺は、ヘンリー8世の大法官ウルジー枢機卿のために、1524年にイングランドへ渡ってきたフィレンツェの彫刻家ベネデット・ダ・ロヴェッツァーノが作りました。ウルジーが失脚すると、ヘンリーはこれを自分の墓のために取り上げましたが、その墓は完成せず、石棺は3世紀近くネルソンを待つことになりました。世間が騒ぎになったこともあります。4人の堂守が見学者から一人1シリングずつ取って見せ、多い日には4人合わせて1日300ポンドも懐に入れていたことが明るみに出たのです。

床を見下ろしてください。このモザイクは19世紀に、ウォーキング監獄の女性囚人たちが敷いたものです。墓の足もとには、ラテン語の一行がはめ込まれています。「Palmam qui meruit ferat」。勝ち取った者にこそ、勝利の棕櫚を。ネルソンのモットーです。

ウェリントンは、その隣に眠っています。1852年、ウェリントンの棺は床を抜けて下ろされると、ネルソンの石棺の上に置かれ、1853年11月、ようやく床に下ろされるまでそのままでした。コーンウォールの石の一枚岩から切り出した彼自身の墓は、1858年まで完成しませんでした。『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』は、ウェリントンとネルソンはドームの下で並んで眠る、と書きました。チャーチルはここには葬られていませんが、1965年の彼の葬儀を記念して作られた門が、2人と一直線になるように据えられています。

まわりにあるのは、この建物を支える大柱です。たいていの大聖堂の地下聖堂は東の端にしかありませんが、ここは大聖堂の下全体に広がっていて、ヨーロッパで最大です。しかもその空間の半分は、上の教会の重さを分散させる、中まで詰まった石積みなのです。

上に戻る前に、もう一つ墓を探してください。クリストファー・レンは、自分の大聖堂に葬られた最初の人です。1723年、簡素な石の下に葬られ、まわりには家族や、協力者のロバート・フック、石工たちの記念碑があります。その上にはラテン語で、彼の墓碑銘が刻まれています。「読む者よ、彼の記念碑を求めるなら、周りを見よ」。

独立系ガイド · Chiaro

セント・ポール大聖堂で目にとまったものに、何でも Chiaro を向けてください。

500を超える記念碑、建物の下いっぱいに広がる地下聖堂、彫られた聖人が並ぶ屋根の稜線。そのなかから選んだのが、この5つのスポットです。南側廊の記念碑、地下聖堂の床に刻まれた名前、バルコニーから見える尖塔。写真を撮れば、Chiaro がそこに記念されているのは誰か、誰が作り、なぜここに置かれたのかを語り、次の記念碑に目が移るまで、話し相手になってくれます。

この記念碑は誰のためのもの?教会の中に、なぜ馬が?あの尖塔はどの教会?

出発前に

01

アクセス

St Paul's Cathedral, St Paul's Churchyard, London EC4M 8AD。ラドゲート・ヒルを上りきったところです。大聖堂のバリアフリー案内図では、西側の24段の階段を上がった先に西入口が記されていて、最初のスポットはそこで聞きます。段差なしで入るなら、スロープのある北袖廊の入口を使ってください。そのまま大聖堂フロアに出られます。

地下鉄セントラル線の St Paul's 駅(運賃ゾーン1)までは270メートル、歩いておよそ3分です。City Thameslink 駅は300メートル、地下鉄とナショナル・レールの Blackfriars 駅は500メートル。テムズ川の船は、歩いて9分の Blackfriars Pier と、12分の Bankside Pier に着きます。

02

チケットと入場

  • 見学できるのは月曜から土曜です。大聖堂によれば開館は午前8時30分で、最終入場はふつう午後4時。ドームの回廊は午前9時30分に開き、最終入場は午後4時15分です。時間は変わることがあるので、行く日の分は stpauls.co.uk のカレンダーで確かめてください。日曜は礼拝のために開いています。夏のシーズンには日曜も3つのドームの回廊が開きますが、別の「Dome Sunday」チケットが要り、料金は stpauls.co.uk に載っています。今年のシーズンは2026年3月15日から10月25日までです。
  • 月曜から土曜の見学チケットは大人27ポンド、子ども10.50ポンドで、その日は大聖堂フロア、地下聖堂、3つのドームの回廊すべてに入れ、マルチメディアガイドも含まれます。いちばん早く入れるのはオンライン予約ですが、チケットは入口でも買えます。礼拝はいつでも無料です。
  • 回廊へは階段しかありません。ささやきの回廊まで257段、ストーン・ギャラリーまで376段、ゴールデン・ギャラリーまでは全部で528段。子どもチケットの子どもは、大人と一緒でなければなりません。フラッシュなしの写真は大聖堂フロア、地下聖堂、屋外の2つの回廊で撮れますが、ささやきの回廊と聖ダンスタン礼拝堂、それに礼拝中は撮れません。動画は撮影できません。
  • 持ち手とキャスターを含めて45×30×25センチより大きいかばんは持ち込めず、荷物預かり所もありません。荷物は少なめにして出かけましょう。
公式チケット →
03

公式音声ガイド

大聖堂自身のマルチメディアガイドは、どの見学チケットにも追加料金なしで付いています。大聖堂フロアのマルチメディア・デスクで受け取るタッチスクリーン式の端末で、解説は9言語。ドームの回廊の中を飛ぶように見せる映像があり、ファミリー版、音声解説版、イギリス手話版もあります。大聖堂のガイドが案内する短い「Highlights」ツアーと、大聖堂フロアと地下聖堂をめぐる長めのツアーもあり、どちらもチケットを持っていれば無料で、当日ガイディング・デスクで申し込み、英語で行われます。このページが加えるのは、扉をくぐる前の最初のひと言です。外の歩道から始まる5つの解説つきスポットを、ご自分のスマートフォンで。

公式サイト →

よくある質問

セント・ポール大聖堂の無料の音声ガイドはありますか?

このページがそうです。ラドゲート・ヒルの歩道からネルソンの墓まで下りていく5つのセルフガイドのスポットで、どれもプレーヤーの下にスクリプトが載っています。セント・ポールには独自のマルチメディア端末もあり、そちらもふつうの見学チケットに含まれています。どちらも取り上げていない何百もの記念碑は、Chiaro アプリで写真を撮れば、その物語が聞けます。

チケットがなくてもセント・ポール大聖堂の音声ガイドは聞けますか?

聞けるのは最初のスポットだけです。前庭で西正面に向き合い、アン女王像を背にして聞くもので、必要なのは目の前の眺めだけです。残りの4つ、ウェリントン記念碑、ドーム、ストーン・ギャラリー、ネルソンの墓は中にあり、月曜から土曜の標準の見学チケット1枚ですべてまわれます。回廊への上りも含まれます。

セント・ポール大聖堂の公式音声ガイドはいくらですか?

入場料のほかには何もかかりません。大聖堂はチケットを持つ人にマルチメディアガイドを付けていて、解説は9言語、ファミリー版、音声解説版、イギリス手話版もあります。大聖堂のガイドが案内する「Highlights」ツアーと、大聖堂フロアと地下聖堂のツアーも、チケットがあれば無料です。追加料金がかかるのは「Triforium Treasures」ツアーだけで、入場料とは別に一人16ポンドです。

ささやきの回廊、ストーン・ギャラリー、ゴールデン・ギャラリーはセント・ポールのチケットに含まれますか?

はい。月曜から土曜の標準の見学チケットには、大聖堂フロア、地下聖堂、ドームの回廊が含まれます。行けるのは階段だけで、ささやきの回廊まで257段、ストーン・ギャラリーまで376段、ゴールデン・ギャラリーまでは全部で528段。大聖堂によれば、回廊は午前9時30分に開き、最終入場は午後4時15分です。

日曜もセント・ポール大聖堂を見学できますか?

建物本体はできません。日曜のセント・ポールは礼拝のために開いていて、礼拝は無料です。例外はドームで、夏のシーズンには日曜も3つのドームの回廊が開きますが、別の「Dome Sunday」チケットが要ります。2026年のシーズンは3月15日から10月25日まで。月曜から土曜は午前8時30分から見学でき、最終入場はふつう午後4時です。

ほかの音声ガイド

Chiaro 制作。セント・ポール大聖堂とは関係ありません。