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ガルニエ宮 · パリ · 独立系ガイド

ガルニエ宮の音声ガイド、
5か所を無料で。

1875年1月5日、高さ32メートルの正面の奥で幕を開けたガルニエのオペラ座。ここでは5つの場所を語りでたどります。ほかの胸像やモザイク、竪琴の飾りは、写真を撮れば Chiaro がその物語を話します。

Chiaro 制作。ガルニエ宮とは関係ありません。

9:41

オペラ座広場から見る正面ファサード

ガルニエ宮、パリ

0:00 2:52
スポット 1 / 5

5つのスポット · 音声 12 分

5つの場所、ひとつのルート、
歩く順番のとおりに。

このガルニエ宮の音声ガイドは、チケットの要る場所に入る前、広場に立ってシャルル・ガルニエの金色に輝く正面を見上げるところから始まり、そのあとは館内でオペラ座自身が設けている自由見学のルートに沿って進みます。広場からは建物に向かって左へ回り込み、西側に沿って歩くと、スクリーブ通り(Rue Scribe)とオベール通り(Rue Auber)の角に見学者用の入口があります。館内の順路は、オペラ座のリーフレットに印刷されているとおりです。円形のロトンド・デ・ザボネ(定期会員のロトンダ)を抜けて、地上階の洞窟にいるピュティアへ。大階段を上り、2階ボックス席から客席をのぞき、さらにサロン・デュ・グラシエとモザイクのアヴァン・フォワイエを通って、南側正面のグラン・フォワイエへ。その窓からは、オペラ大通りを見下ろせます。5つの録音は合わせて約10分。オペラ座自身は、見学全体に1時間半を見込んでいます。

このページのチケット、開館時間、入場についての情報は、パリ国立オペラ自身のサイト operadeparis.fr と見学用リーフレットから、2026年9月26日に確認したものです。歴史の記述には、さらにもう一つ、公刊された出典の裏づけがあります。当日いちばん見られない可能性が高いのは客席です。リハーサルが予告なく入ることがあり、日中に公演がある日は見学そのものが休みになります。館内の係員がこのページと違うことを言ったら、係員に従ってください。この建物のことは、私たちより彼らのほうがよく知っています。そして、どこが違っていたのか、私たちにも一言知らせていただけると助かります。

スポット 1 / 5 · オペラ座広場、建物の南側で正面ファサードに向かって。無料、チケットの要る場所に入る前

オペラ座広場から見る正面ファサード

ナポレオン3世の命を受けたシャルル・ガルニエ(1825–1898)。金色の群像はシャルル・ギュメリ(1827–1871)、アポロン像はエメ・ミレー(1819–1891) · 1861–1875年。正面の除幕は1867年8月15日 · 石材、色大理石、金めっきのブロンズ。地面から正面の頂部まで32メートル

注目ポイント

  • ロッジアの上の金文字 ACADEMIE NATIONALE DE MUSIQUE。Académie のあとの語はもともと Impériale(帝国の)で、1870年に差し替えられたのは、その最初の6文字だけでした。
  • 屋階のメダイヨンにある N と E。ナポレオン皇帝(Napoléon Empereur)の組み文字です。いまある文字はガルニエ自身のデザインどおりに作られたもので、取り付けられたのは2000年の修復のときでした。
  • 両端の金色の群像。左がシャルル・ギュメリの『調和』、右が『詩』です。緑のドームの向こう、舞台棟の切妻の上では、アポロンが竪琴を掲げています。
  • ロッジアの円柱のあいだの丸い開口部に並ぶ作曲家の胸像。左から、ロッシーニ、オベール、ベートーヴェン、モーツァルト、スポンティーニ、マイアベーア、アレヴィです。
書き起こし (2:52)

広場で、正面全体が一度に目に収まるところまで下がってください。シャルル・ガルニエは、ここから眺めて読み取れるようにこの建物を造ったのです。背後の大通り、オペラ大通りはこの正面に向かってまっすぐ延び、ここで突き当たります。通りの眺めが、まるごと一つの劇場で締めくくられているわけです。

上から順に見ていきましょう。両端で日差しにきらめく金色の群像は、シャルル・ギュメリの作で、左が『調和』、右が『詩』です。これは当初の計画にはありませんでした。ナポレオン3世は設計の石膏模型を見て、頂上のテラスを、いま見えている重厚な屋階に替えさせました。皇帝の戦車の像を載せるためです。けれども戦車は結局来ず、代わりに1869年、ギュメリの金色の像が据えられました。緑のドームの上、その奥の舞台棟の切妻には、エメ・ミレーのアポロンが立ち、パリの上に竪琴を掲げています。

次は屋階そのものです。メダイヨンの中に、N と E の文字が見分けられるはずです。ナポレオン皇帝、ナポレオン・アンプルールの頭文字です。そのために作られた文字は除幕に間に合わず、1870年に帝政が倒れると、ガルニエはほっとして仮の文字を外しました。いまそこにある文字は彼の元のデザインどおりに作られ、2000年の修復で初めて取り付けられたものです。

視線を、円柱の上の金の銘文に下ろしてください。アカデミー・ナシオナル・ド・ミュジーク、国立音楽アカデミー。最初はアカデミー・アンペリアル、帝国音楽アカデミーと刻まれていて、共和政になったとき、誰かがアンペリアルという語の最初の6文字だけを取り替えました。ロッジアの対になった円柱のあいだには、金色の作曲家の胸像が並んでいます。左から、ロッシーニ、オベール、ベートーヴェン、モーツァルト、スポンティーニ、マイアベーア、アレヴィ。この正面には、画家とモザイク職人が14人、彫刻家が73人かかわり、使われた素材は17種類にのぼります。

設計競技に勝ったとき、ガルニエは無名でした。1860年の最初の審査には、およそ170人の建築家が応募しました。彼が掲げた標語は、タッソの詩の一節、「多くを望み、少しを期待せよ」。あくまで逸話にすぎませんが、皇后が、これはルイ14世様式でも15世様式でも16世様式でもない、いったい何様式なのかと尋ねると、彼は「ナポレオン3世様式です」と答えたといいます。

最後にもう一つ、通りの高さまで目を下ろしてください。扉の右側にある二つの彫刻群のうち、内側のものは複製です。原作のカルポーの『ダンス』は、1869年に除幕されると猥褻だと非難され、その年の8月のある夜、誰かが黒インクの瓶を投げつけました。代わりの作品が実際に発注されたほどです。ところが戦争が始まって皆が忘れてしまい、カルポーの踊り子たちはそのまま残りました。原作は1986年からオルセー美術館にあります。

スポット 2 / 5 · 地上階、大階段のふもとにあるピュティアの泉水(Bassin de la Pythie)。ロトンド・デ・ザボネを抜けてすぐ

大階段の下、洞窟のピュティア

マルチェッロの名で知られるアデル・ダフリ(1836–1879)。洞窟の設計はシャルル・ガルニエ(1825–1898) · 1869年にローマで原型を制作、1870年のサロンに出品、1875年の開場時に設置 · 高い三脚台に載ったブロンズ、高さ290センチ

注目ポイント

  • 像にたどり着く前に、円形のロトンド・デ・ザボネの天井を。中央のメダイヨンの唐草模様が JEAN LOUIS CHARLES GARNIER ARCHITECTE 1861-1875 と綴っています。建築家がこの建物に残した署名です。
  • 三脚台から垂れた素足と、台座に巻きつく蛇。マルチェッロが望んだのは、飼いならした蛇を連れたインドの占い師のようなピュティアでした。
  • 像の両脇に立つ二基のブロンズの燭台。作者はジュール・コルボーズで、上の階のシャンデリアの原型も彼が手がけました。
  • 洞窟の上の彫刻されたヴォールト。植物、楽器、仮面、貝殻。ガルニエはこの空間を、水の妖精をまつる泉の神殿、ニンファエウムとして思い描いていました。
書き起こし (2:25)

いま通ってきたのが、見学の始まりにある円形のホール、ロトンド・デ・ザボネです。そこで天井を見上げなかったなら、数歩戻ってみる価値があります。天井の真ん中の渦巻く装飾は、ジャン・ルイ・シャルル・ガルニエ、建築家、1861年から1875年、と綴っているのです。建築家は、ほとんど誰も読まない場所に、自分の建物の署名を入れました。

では、目の前の洞窟にいる女性を見てください。彼女はピュティア、アポロンの神託を告げた巫女で、神託を受けた三脚台の上に腰かけています。本来、ここにいるはずの像ではありませんでした。ガルニエはこの壁龕を、静かで白い、大理石の座ったオルフェウス像のために取っておいたのですが、その予算がついに下りなかったのです。彼はこの像を、以前ローマのアトリエで粘土の段階で見ていて、気に入りはしたものの、自分の劇場に合うとは思っていませんでした。2年後、パリでブロンズに鋳造されたものを見て、階段の下に置いて効果を試し、大臣に買い上げを願い出ます。彼自身の言葉では、とても穏やかな神の代わりに、苦悶するブロンズを手に入れた、三脚台の上で身もだえするアポロンの巫女を、というわけです。そして、建物じゅうの装飾作品のなかで、オペラ座のために作られなかったのはこれ一つだけだ、とも書いています。

彫刻家は、マルチェッロと署名しました。本名はアデル・ダフリ、カスティリオーネ・コロンナ公爵夫人。ローマで活動したスイス人の彫刻家で、画家でもありました。ピュティアは胸像から始まって、ここまで大きくなりました。高さ2メートル90センチのブロンズです。腕や肩や手が必要になると、彼女は自分の体を手本にしました。制作は難航しました。像はアトリエで二度崩れ、パリへ運ぶ途中で原型は百個ものかけらに割れました。彼女が望んだのは、本人の言葉を借りれば、インドのピュティア、飼いならした蛇を連れたインドの占い師のような姿でした。台座に目を落とせば、その蛇が見つかります。

いま立っている水盤は、かつては噴水でした。噴き上がる水が細かな霧をつくり、その向こうに彼女の姿が見えたのです。水は、この階にふさわしいテーマです。基礎を掘ったとき、地下水が何度も現場にあふれ、8台の蒸気ポンプを昼も夜も動かしても乾きませんでした。そこでガルニエは、巨大なコンクリートの貯水槽を囲む二重の基礎を築きました。オペラ座の地下に湖があるという伝説は、このタンクから生まれたものです。ガストン・ルルーが怪人に与えた、あの湖です。

1875年1月の落成式で、観客も批評家もたちまち彼女を気に入りました。マルチェッロ自身、それを喜ぶと同時に、驚いたのでした。

スポット 3 / 5 · 大階段。最初の階段のふもとから、上の踊り場まで

大階段

シャルル・ガルニエ(1825–1898)。光を掲げる女性像はアルベール=エルネスト・カリエ=ベルーズ(1824–1887)、天井画はイジドール・ピルス(1815–1875) · 1861–1875年 · セラヴェッツァ産の白大理石の段、赤と緑の大理石の上にオニキスの手すり。吹き抜けの高さ30メートル

注目ポイント

  • 最初の階段のふもとに立つ二体のブロンズの女性像。カリエ=ベルーズの作で、光の花束を掲げています。はじめはガス灯、のちに電灯になりました。
  • 手の下の手すり。上面は淡い色のオニキス、その下に赤いアンティーク大理石の手すり子が128本、土台はスウェーデン産の緑の大理石です。
  • 段そのもの。上るにつれて凹形から凸形へとふくらみ、階段全体でまっすぐな段はたった一つしかありません。
  • 吹き抜けの四方の壁に重なるバルコニー。上の階段はそこへ続いています。上からは、下に到着する人が一人残らず見えます。
書き起こし (2:24)

最初の階段のふもとで立ち止まり、上を見てください。いま立っている空間は、高さ30メートル。オペラ座自身はここを「身廊」と呼んでいます。大聖堂に使う言葉です。階段は目の前で二手に分かれて弧を描き、また一つに合流します。そして四方の壁には、上へ上へとバルコニーが重なっています。ガルニエはこの階段を、人々を入口から座席まで運ぶために造ったのではありません。そうして上っていく互いの姿を、眺め合うために造ったのです。オペラ座のリーフレットは、この階段のふもとを「劇場のなかの劇場」と呼んでいます。

まずは、階段のふもとの台座に立つ二体のブロンズの女性像から。光の花束を掲げています。作者はアルベール=エルネスト・カリエ=ベルーズ。建物に電気が引かれる前は、ガスの炎を掲げていました。

上りながら、手すりに手を置いてみてください。手すりはオニキス、その下の手すり子は赤いアンティーク大理石で128本、それが立つ土台はスウェーデン産の緑の大理石です。段はセラヴェッツァ産の白大理石。そして、自分の足で確かめる価値があるのはここです。段はまっすぐではありません。どの段も、手すりの線に沿うように、下では凹形、上に行くほど凸形へとカーブしていて、階段全体でまっすぐな段はちょうど一つしかないのです。着想そのものは借り物でした。ガルニエは、ヴィクトル・ルイがボルドーの劇場に造った大階段を手本にしたのです。

目に見えないのは、このうちどれほどが鉄でできているか、ということです。建物は石積みの壁の上に立っていますが、床も、ヴォールトも、屋根も、隠れた鉄骨が支えています。大理石はすべて、衣装のようなものなのです。

天井まで目を上げて、イジドール・ピルスの天井画を見てください。勝利のアポロン、野蛮と戦うミネルヴァ、そして新しいオペラ座の図面を受け取るパリ市。建物が自分で自分を祝っているわけです。この絵は、危うく実現しないところでした。開場の2か月前に取り付けられたとき、ガルニエはひと目で、この空間には暗すぎると見て取りました。当時61歳のピルスは再び足場に上り、頭上の絵を描き直しましたが、その作業中に病に倒れ、弟子たちが仕上げました。足場が外されたのは、開場の前日でした。

そして開場の夜、1875年1月5日の幕間に、ガルニエがこの階段の踊り場に姿を見せると、観客は彼に拍手を送りました。その踊り場を探して、しばらく彼が立った場所に立ってみてください。大理石の吹き抜けが、足もとへ深く落ちていくのが見えるはずです。

スポット 4 / 5 · 2階ボックス席(1res loges)。扉が開いていれば、そこから客席をのぞく。リハーサルでしばしば閉鎖

2階ボックス席から見る客席

シャルル・ガルニエ(1825–1898)。描かれた緞帳のデザインはオーギュスト・リュベ(1817–1899)とフィリップ・シャプロン(1823–1906) · 1875年1月5日開場 · 鉄骨の骨組みを大理石、スタッコ、ベルベット、金箔で覆う。馬蹄形の平面、舞台の開口部は幅16メートル

注目ポイント

  • 舞台の緞帳。赤いベルベットのひだも、房飾りも、金のフリンジも、すべて平らなキャンバスに描かれた絵です。ガルニエの指示で、オーギュスト・リュベとフィリップ・シャプロンがデザインしました。
  • 周りを囲む馬蹄形のボックス席。オペラ座のリーフレットによれば、この客席は見て、見られるために設計されました。ボックス席は舞台と同じくらい、互いのほうを向いています。
  • 廊下から入るとき、マホガニーのボックス席の扉にある丸い舷窓。
  • 金色のバルコニー前面に、月桂樹の葉にまじって組み込まれた竪琴。竪琴は、ガルニエが建物じゅうに使った署名のようなモチーフです。
書き起こし (2:26)

入る前に、扉を見てください。客席を取り巻く廊下はモザイクで覆われ、ボックス席へはマホガニーの扉から入ります。どの扉にも、丸い舷窓が一つずつ。着いたときにリハーサルで客席が閉まっていたら、この舷窓があなたの眺めです。ここから先の話は、それでもちゃんと通じます。

中に入ると、そこは2階のボックス席です。注目すべきは正面ではなく、左右です。客席は馬蹄形で、オペラ座自身の言葉を借りれば、見て、見られるために設計されました。ボックス席は弧を描き、舞台に向かうのとほとんど同じくらいまっすぐに、互いに向き合っています。ここはオペラと同じくらい、観客を眺めるための部屋だったのです。

次は赤と金。これはすべて、表面を覆う皮膚にすぎません。ベルベット、スタッコ、大理石、金箔の下には金属の骨組みがあり、その鉄が、平土間の上に吊られた、340灯の大シャンデリアを支えています。批評家たちは、まだ作られもしないうちから、これでは5階のボックス席から舞台が見えなくなると文句を言いました。ガルニエは紙上でこう応じています。これほど楽しい生気で劇場を満たせるものが、ほかに何があるというのか。

そしてこれは、誰もが落ちたと思い込んでいるシャンデリアでもあります。実際には落ちていません。1896年5月20日、釣り合い重りの一つが外れ、天井を突き抜けて客席に落ち、一人が亡くなりました。シャンデリアそのものは、びくともしませんでした。ガストン・ルルーはこの出来事を『オペラ座の怪人』屈指の名場面に仕立て、それ以来シャンデリアは、人々の想像のなかで落ち続けています。

シャンデリアの上では、後の時代の絵が、ルヌヴーによる元の天井画を覆っています。

では、舞台の緞帳を見てください。これは嘘、それも美しい嘘です。重たげに垂れる赤いベルベット、金の組紐、房飾り、片側にたくし上げられたフリンジ。どれも本物の布のひだではありません。平らなキャンバスに、二人の舞台画家、オーギュスト・リュベとフィリップ・シャプロンが、ガルニエの指示に従ってだまし絵で描いたものです。緞帳は1951年と1996年の二度取り替えられましたが、そのたびに前のものを正確に写しています。

その奥の開口部は幅16メートル。舞台は奥行き27メートル、床下のいちばん低い階から天井の吊り物スペースまで、高さ60メートルあります。いまこの劇場の主役は、おもにバレエです。描かれたベルベットがダンサーたちの列の上に上がり、馬蹄形の客席全体がいっせいに身を乗り出す様子を、思い浮かべてみてください。

スポット 5 / 5 · グラン・フォワイエ。南側の2階、オペラ大通りに面した窓辺

グラン・フォワイエと、オペラ大通りの眺め

シャルル・ガルニエ(1825–1898)。ヴォールト天井の絵はポール・ボードリー(1828–1886)、アヴァン・フォワイエのモザイクはキュルゾンの原画をもとにサルヴィアーティが制作 · 1875年。2003–2004年に修復 · 金箔を施したスタッコ、鏡、キャンバスに描いた絵。長さ54メートル、幅13メートル、高さ18メートル

注目ポイント

  • ドアの取っ手や暖房の格子。そこにも竪琴があります。オペラ座のリーフレットによれば、竪琴はこの部屋の装飾の語彙全体を支配しています。
  • 窓の近くに立つ、カルポーによるシャルル・ガルニエの胸像(複製)。ガラスの向こうでは、オペラ大通りがルーヴルまでまっすぐ延びています。
  • 五つのフランス窓の向かいにある、高さ6メートル近い鏡。シャンデリアを何倍にも映し、幅13メートルの部屋をずっと広く感じさせます。
  • ヴォールト天井に沿って続くポール・ボードリーの絵。音楽の歴史の場面です。
書き起こし (2:22)

金色のモザイク天井のアーチの通路、アヴァン・フォワイエを通ってきたはずです。先へ進む前に、少し振り返ってください。モザイクの中に、ギリシャ文字で書かれた銘文が二つあります。一つは、装飾モザイクがフランスで初めて使われたのがここ、このヴォールトだと記しています。もう一つは、制作チームの名前です。人物の原画はキュルゾン、制作はサルヴィアーティ、装飾はファッキーナ、建築はシャルル・ガルニエ。両端の小さな円形の部屋は、太陽のサロンと月のサロンです。一方は暑く、もう一方は涼しい部屋になるはずでしたが、1875年に間に合わせようと急いだせいで、テーマが逆になってしまいました。

さあ、グラン・フォワイエです。長さ54メートル、高さ18メートル、そして幅はわずか13メートル。この幅の狭さこそが、部屋を果てしなく感じさせます。窓に向かい合う長い壁が、高さ6メートル近い鏡で区切られているからです。ガルニエの頭にあったのは、フランスの宮殿の大ギャラリー、フォンテーヌブロー、ルーヴルのアポロンのギャラリー、ヴェルサイユの鏡の間でした。彼はここを、パリの社交界全体のためのサロンとして造りました。あの開場の夜まで、劇場のフォワイエは男性のための場所で、女性たちは自分のボックス席で客を迎えていました。1875年1月5日、スペイン王妃がこの部屋を見たいと言って足を踏み入れると、劇場にいたほかの婦人たちも、そのあとに続いたのです。

天井画はポール・ボードリーの作で、音楽の歴史の場面が描かれています。ムーサを数えてみると、一人足りないはずです。神話では9人、ここでは8人。場所が足りなかったためで、外されたのはポリュムニアでした。今度は竪琴を探してください。オペラ座自身が、竪琴はこの部屋全体を支配していると書いています。柱頭にも、暖房の格子にも、ドアの取っ手にまで。そして天井近くのどこかには、ガルニエの助手たちが本人に内緒で、ガルニエ自身の顔に彫らせた金色のアポロンの頭部が二つあります。

金色のカーテンは新しいものです。1928年の火災で元のカーテンが焼け、部屋は70年以上カーテンのないまま過ごし、2004年に終わった修復でようやく戻りました。

最後は窓辺で。その一つの近くに、ガルニエ本人の胸像が立っています。カルポーが作ったものの複製です。その横に立って、外を眺めてください。眼下には、この散策が始まったオペラ座広場。そしてそこからまっすぐに、オペラ大通りがルーヴルまで延びています。

独立系ガイド · Chiaro

ガルニエ宮では、目に入るものすべてに Chiaro を向けてみてください。

正面だけで73人の彫刻家が手がけ、グラン・フォワイエには描かれた8人のムーサがいて、竪琴の模様はドアの取っ手にまで現れます。5つの録音では、この館の大部分は語りきれません。ロッジアに並ぶ作曲家の胸像、アヴァン・フォワイエのモザイクの一枚、ボードリーの天井画の人物を写真に撮れば、Chiaro がそれが何で、誰が作り、なぜそこにあるのかを教えてくれます。この館が呼び起こす疑問には、いくつでも付き合います。

オペラ座の地下に本当に湖があるの?舞台の幕はなぜ絵で描かれているの?天井画からいなくなったムーサは誰?

出発前に

01

アクセス

Palais Garnier, Place de l'Opéra, 75009 Paris。最初のスポットはオペラ座広場そのもので、金色の正面に向かって聴きます。自由見学の入口は建物の西側、スクリーブ通りとオベール通りが交わる角にあります。

メトロ3・7・8号線で Opéra 駅、または7・9号線で Chaussée d'Antin – La Fayette 駅。RER A線なら Auber 駅です。近くには20、21、27、95番をはじめ10あまりのバス路線が停まり、深夜バスの N15・N16 も通ります。

02

チケットと入場

  • 見学チケットはオンライン販売のみで、日付と時間枠を指定して買います。発売は30日前からで、現地の窓口では一切販売していません。予約した時間枠の30分後までは入場でき、払い戻しや変更はできません。
  • 客席はリハーサルのため、たびたび予告なく閉鎖されます。オペラ座は、どのチケットでも客席への入場は保証されないと明言しています。4つ目のスポットの録音は、ボックス席の扉の丸窓からのぞくだけでも話が通じるように作ってあります。
  • 見学は毎日午前10時から午後5時まで(夏時間の期間は午後6時まで)。ただし、日中に公演がある日と、予約カレンダーに示される臨時休館日は除きます。最終入場は閉館の1時間前です。
  • 2026年の料金は住んでいる場所によって変わります。大人は25ユーロ、フランスまたはほかの欧州経済領域(EEA)の国に居住しているか、その国籍を持つことを証明できれば15ユーロ。13歳から25歳は20ユーロまたは10ユーロ、12歳以下は無料です。スーツケースや旅行かばんは持ち込めず、見学時間中はクロークも閉まっています。
03

公式音声ガイド

オペラ座自身のガイドは Revelacio です。iPad mini を使う90分のマルチメディアツアーで、英語を含む10言語に対応しています。料金は現地で8ユーロ、オンラインでチケットに追加すれば7ユーロ。毎日午前10時から午後3時30分まで(8月は午後4時30分まで)利用できます。6歳から13歳向けの子ども版は6.50ユーロで、フランス語の音声解説ツアーとフランス手話のツアーも同じ料金です。オペラ座はほかに、11ユーロから35ユーロのガイドツアーも行っています。私たちの録音にタブレットは要りません。まだ広場でアポロンを見上げているうちに、最初の一本が流れ始めます。

公式サイト →

よくある質問

ガルニエ宮の無料の音声ガイドはありますか?

あります。このページの5つのスポットがそれで、外の広場からグラン・フォワイエまで、ブラウザでそのまま再生でき、語りの全文もプレーヤーの下に載っています。オペラ座自身のマルチメディアガイドは有料のタブレットツアーで、8ユーロ、オンラインでチケットと一緒に買えば7ユーロです。この5か所のあいだで出会う胸像やモザイク、描かれた人物は、写真を撮れば Chiaro アプリがそれが何かを教えてくれます。

チケットがなくてもガルニエ宮の音声ガイドを聴けますか?

聴けるのは最初のスポットだけで、これはオペラ座広場で正面を見ながら聴くものです。残りの4つは館内の自由見学ルート上にあり、入るには日付と時間枠を指定してオンラインで予約したチケットが必要です。現地では販売していません。録音そのものは、どちらにしても無料です。

ガルニエ宮の公式音声ガイドはいくらですか?

オペラ座の Revelacio タブレットツアーは8ユーロ、オンラインで事前購入すれば7ユーロで、10言語から選べる90分のツアーです。6歳から13歳向けの子ども用タブレットツアーは6.50ユーロ。どちらも毎日午前10時から午後3時30分まで(8月は午後4時30分まで)利用できます。

ガルニエ宮の客席は見られますか?

いつでも見られるとは限りません。オペラ座は、リハーサルのため客席がひんぱんに、予測できないかたちで閉鎖されること、そしてどのチケットでも客席への入場は保証されないことを告知しています。ピュティアからグラン・フォワイエまで、ルートのほかの部分は、チケットで入れる公開エリアにあります。

ガルニエ宮の見学者用入口はどこですか?

建物の西側、スクリーブ通りとオベール通りが交わるところです。オペラ座広場の最初のスポットからなら、正面に向かって左の角を回ってすぐです。

ガルニエ宮はいつ見学できますか?

毎日午前10時から午後5時まで、夏時間の期間は午後6時までです。ただし、日中に公演がある日と、予約カレンダーに示される臨時休館日は除きます。最終入場は閉館の1時間前で、見学エリアは劇場が閉まる15分前に退出を求められます。

ほかの音声ガイド

Chiaro 制作。ガルニエ宮とは関係ありません。